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2019年12月 9日 (月)

鏑木清方の明治情緒

竹橋の東京国立近代美術館で15日まで公開の「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」を見に行った。これは常設展の一角を「特別展示」として鏑木清方の作品を10数点展示したものだが、金曜の夜間開館でもずいぶん混んでいた。

今回のミニ展示は半世紀近く所在不明だった《築地明石町》に加えて、《新富町》と《浜町河岸》の三部作を東近美が最近所蔵したのに合わせて、ほかの鏑木清方の所蔵作品10点ほどを展示したもの。

いわゆる美人画なのだが、今回驚いたのは美人の背景の描写から場所や時代が浮かび上がること。考えて見たら三部作はすべて地名が題名になっている。おおむね今の築地市場から新富町、聖路加病院のあたりである。

《築地明石町》(1927)は清楚でクールな美女を描いているが、右側には水色のペンキを塗られた垣根があって、朝顔が咲いている。左奥には何と帆船がかすかに見えている。すぐそばの佃島の石川島造船場で作られた船だろうか。美女は清方の妻の友人をモデルにしており、その写真まで展示してあった。

《新富町》(30)は世慣れた感じの芸者が、傘を差して足早に歩く姿を描く。後ろにある劇場は新富座という。当時、新富町は有数の花街だったから、クロウト衆を描いたのだろう。

同じ年に描かれた《浜町河岸》(30)は、素人の娘を描く。扇子の端を口に当てた感じがかわいらしい。奥には対岸の深川が見える。塔のようなのは火の見櫓で、関東大震災まではあったと書かれていた。

関東大震災は1923年だから、これは少し前の風景を描いたもの。大正時代になって、消えてしまった明治情緒を懐かしんで描いたという解説があったが、いつの時代にもこの懐古趣味はあるのではないか。私が昭和の時代を懐かしんでいるように。

会場では大判の解説が配られていて、その裏側に大きな当時の地図が印刷されているのがいい。私が勤めていた朝日新聞社も築地市場も海軍大学校や海軍医学校だった時代である。そういえば、かつて豊洲に住んでいた頃、新富町で降りて築地本願寺と市場を横目に見ながら新聞社に通っていた。だから1907年のその地図は妙に親しみを感じた。その頃は川と橋に囲まれていた地域だった。

企画展会場で「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」を見たが、東近美には珍しく焦点の定まらない展覧会だった。絵自体が「窓」なのだから、テーマが大きすぎて何でもありになってしまった。リプチンスキの映像やタデウシュ・カントルの舞台美術は懐かしかったけれど。

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