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2019年12月22日 (日)

『この世界』長尺版の柔らかいイメージ

3年前にヒットした片淵須直監督の『この世界の片隅に』の長尺版『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を劇場で見た。40分近くを新たに足したというが、私は3年前に1度見たきりなので、長尺版を見ても正直なところ最初は全部撮り直したのかと思ったくらい。

明らかに加わったのは遊郭の女性リンの部分。すずはリンと偶然に知り合った後に、実は夫は結婚前にリンと関係がありひと騒動があったことを知る。その前に絵を描くことが好きなすずが、食べ物の絵をリンに持ってゆく場面もあるので、仲良しの相手が実は、という深みがある。一緒に桜の木に登るシーンも新たに加わった気がする。

さらにリンと同じ遊郭の九州弁の遊女テルも出てくる。水兵と川に飛び込んで風邪をこじらせている設定で、性的なニュアンスが強まる。すずは彼女のために雪が降った庭に南国の絵を描く。夫とすずの関係にしても、性的な場面が明らかに増えた。リンにもらう口紅のモチーフが何度も出てくるのもそうだろう。

幼馴染の水原がすずに会いに来て、夫は2人のための時間を作る。2016年版で最も性を感じさせる場面だったが、今回はこの時のすずの動きがずっと自然に見えるのは、彼女が夫を好きなのが既に十分に伝わっているからだろう。

もう1つは、原爆投下後の9月に枕崎台風が呉に来るシーン。既に空襲で焼け野原になった街を台風は容赦なく痛めつける。この辺りはたぶん当時の生活の細かいリサーチから出てきたのだろう。これは印象だが、呉や広島の街並みも細かな描写がさらに増えた気がする。そして姪の晴美が空襲で亡くなる場面が、ずいぶんソフトになった。2016年版から攻撃性がなくなり、ファンタジーが増していたように思えた。

だから全体として大人向けというか、柔らかくなった印象を持った。両方のバージョンをもう1回ずつ見たら、印象ではなくもっときちんと論じられるだろうが、私にはこれで十分。

そう言えば、「朝日」の映画評で秋山登氏が「挿話に長くこだわったせいで底に秘めた反戦のテーマを薄手なものにしていないか。追加したエピソードは、清新な意匠たりえているだろうか」と書いていた。リンは「挿話」ではないし、少なくとも「薄手」はないだろう。

 

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