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2019年12月28日 (土)

『アニエスによるヴァルダ』を見ながら考えたこと

今年は自分にとって重要な人が何人も亡くなったのでほとんど忘れていたが、アニエス・ヴァルダが亡くなったのも今年3月だった。90歳だったというが、3年前のパリでもその元気な姿を見ていたので、亡くなった気がしない。

最初にヴァルダを近くで見たのは2001年ではないか。これも今年亡くなられた柴田駿さんが、フランスの芸術文化勲章シュヴァリエを横浜のフランス映画祭開催中にもらった。柴田さんは前から勲章を打診されていたが、まず大島渚監督がもらってからでないと受け取れないと言い張ったらしい。

そこで5月に大島監督、6月に柴田さんとなった。その授章式は横浜港に浮かぶ小さな船のデッキで行われ10名ほどが参加したが、その中にヴァルダがいた。彼女は例のおかっぱ頭で、日本の使い捨てカメラを手に動き回ってあちこちを撮影していた。『冬の旅』(85)をフランス映画社が配給して以来の仲かもしれない。フランス映画祭にはほかの会社が配給した『落穂拾い』(2000)で来ていたはず。

その場にいたなかで、秦早穂子さんと蓮實重彦さん、それからフランスのセールス会社のエンガメ・パナヒさんは覚えている。秦さんと初めてお話をしたのは、その場だったことを今になって思い出した。

それから時は流れ、2016年のパリでアニエスの元気な姿を2度見た。一度はレイモン・ドゥパルドンの「住人たち」の試写を20区の大きな映画館でやった時で、彼女はぎりぎりにやってきて席を探していたら、だれかが席を譲った。その後のパーティにもいて、この試写に連れて行ってくれた私の友人のマリ=クリスティンと話していたので写真を撮った。

2度目はシネマテーク・フランセーズで『トルチュ島の避難者』(74)を上映した時で、上映後にジャック・ロジエに話しかけていた。ドゥパルドンといい、ロジエといい、ヴァルダは友情を大事にする人だなと思った。どこにでも出かけてゆく、気さくなおばさんのイメージだ。

それは、『アニエスによるヴァルダ』を見た印象ともつながる。彼女が映画監督になる前は写真を撮っていたことは知っていたが、半端ではない。TNP(国立民衆劇場)付きだったので演出家のジャン・ヴィラールをはじめとして、ジェラール・フィリップなどの俳優たちを撮り、さらにイヨネスコ、ダリ、カルダー、ブラッサイなどの芸術家の写真が次々に出てくる。映画を撮りだしてからも、写真は続けていた。

彼女の映画を、ある人物の一瞬を捉えるポートレイトと考えたら、『ラ・ポワント・クールト』も『5時から7時までのクレオ』もよくわかる気がする。これは知らなかったが、2000年以降はインスタレーションにも取り組んでいる。写真とビデオに無数のフィルムを上から垂らして組み合わせる。これまたポートレートの連続のよう。

グラン・パレのクリスチャン・ボルタンスキーの展示を撮った映像があった。古着を集めたボルタンスキーの世界が、ヴァルダに近いようにも見えたから不思議だ。

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コメント

大島渚監督がオフィシエを授与されたときはニュースになっていましたが、柴田駿さんがシュヴァリエを貰っていたことは初めて知りました。フランス芸術文化勲章の叙勲者を少し調べたときに、堀越謙三さんと松本正道さんが授与されているにも関わらず、柴田駿さんが貰っていないのは何故かと訝しく思っていましたのでスッキリしました。ありがとうございます。しかも大島監督との絆を示す貴重なエピソードまで。

投稿: オカタエ | 2019年12月28日 (土) 11時54分

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