ウェルベック『プラットフォーム』に考える
『セロトニン』を読んでから、ミシェル・ウェルベックの小説にはまっている。西洋批判とスキャンダラスな性描写と退屈な場面が入れ子になったような悪趣味な世界が、妙に心地良い。『プラットフォーム』は2001年に出た本で、当時は全体に漂うイスラム嫌いが不評をかったというが、今読むと私はあまり感じなかった。
小説は「一年前、父が死んだ」で始まり、最後はタイの田舎で「みんな僕を忘れるだろう。すぐに僕を忘れるだろう」で終わる。全体はウェルベックにしては、ずいぶんドラマチックに展開する。
40男の「僕」は、文化省に勤めて現代美術の振興に関わっているが、全く興味が持てない。「職場からの帰り、僕はたいてい<のぞき部屋>に寄る」「真面目なだけでぱっとしない学業を修めた僕は、就職先に迷わず公的機関を選んだ。八〇年代半ば、社会主義の改良が始まった時期で、かのジャック・ラング文化相が国家の文化組織に豪華さと栄誉をばらまいた時代だった」
彼はクリスマス休暇にパッケージツアーでタイに行く。そこで運命の女性、ヴァレリーと出会う。彼女は旅行代理店のヌーヴェル・フロンティエールに勤務しており、その上司ジャン=イヴと共にホテル・チェーンのオーロラ・グループに引き抜かれる。主人公はヴァレリーとジャン=イヴにタイのセックスツアーを提案し、企画はオーロラ・グループで動き出す。
企画は大当たりし、予約でいっぱいになる。3人もタイに出かけて大成功を見る。僕とヴァレリーはこのままホテルの支配人になって、タイに住みたいと真剣に考えるが、その直後にイスラム過激派によるテロが起きる。
読んでいておもしろいのは、自分の生き方、ひいては西洋文明への批判がどんどん出てくること。「僕の存在してきた四十年間で、僕は何を生産しただろう?実際、たいしたものは生産していない。僕は情報を操作して、情報の検索、輸送を助けてきた」。これはまるで私のことのようだ。
「ある程度、年齢を重ねた人間は恋愛を避けるようになる。娼婦を買いに行く方が手っ取り早いと気づくからだ。ただ、欧米の娼婦はだめ。試す価値もない。あれはほんとにスクラップみたいな連中だから」。ヴァレリーは言う「要するに白人女はアフリカ男と寝たい。白人男はアジア女がいい。わたしはそれがなぜだか知りたいの」。僕は言う「一方に数億人という西洋人がいる。彼らは欲しいものは何でも持っている。ただし性の満足だけは得られない」
僕がタイに残ろうとヴァレリーに提案すると、「ここにはどんな気晴らしも、文化的な生活もないわよ」と言われる。「僕にははっきりとした自覚があった。よく考えてみたところで、文化というのは、人が生きていて不幸を感じるときに代償物として必要になるもののように思える」。これは、「文化」で生きてきた私には妙にこたえる。
結局、テロで僕はヴァレリーを失う。そして帰国してリハビリ施設に入った後に、再びタイへ向かう。そこで誰も知らない存在になって「すぐに僕を忘れるだろう」と呟く。素晴らしい年末だ。
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