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2019年12月17日 (火)

柴田駿さんが亡くなった:続き

映画界では、柴田駿さんについて複雑な思いを持つ人が多い。フランス映画社はあれほど世界のすばらしい監督を紹介してきたのに、ほかの会社がその監督の作品を買おうとすると邪魔をする、という話をよく聞いた。

あるいは自分たちが細々と紹介してきた監督が有名になったら、フランス映画社に新作を持っていかれた、という話もあった。部下として仕事をした方からとんでもない人だったという話も聞いた。いずれも本当のようだ。

フランス映画社の最初の配給作品は、1976年のジャン・ヴィゴの『新学期 操行ゼロ』(1933)とジャン=ピエール・メルヴィルの『恐るべき子供たち』(50)の2本。日本未公開の優れた旧作を紹介するという形で、翌年にはジャン・ルノワールの『素晴らしき放浪者』(32)を公開した。マルセル・カルネの『天井桟敷の人々』(45)の再公開もそうだったと思う。

それから、ギリシャのテオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』(75)やエルマンノ・オルミの『木靴の樹』(78)、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』(73)のような、日本では知られていない難解な作風の監督を紹介した。私が大学生の時は、これらの作品を吸い込まれるように見た。

しかし、ほかの会社が紹介していた監督の話題作も買い付けた。典型的なのはユーロスペースが紹介してきたヴィム・ヴェンダース監督で、カンヌでパルム・ドールを取った『パリ、テキサス』(84)やカンヌ監督賞の『ベルリン、天使の詩』(87)を買い付け、後者は60週のロングラン記録(劇場は30週でシャンテから有楽シネマに移動)を打ち立てた。

台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)も『童年往事 時の流れ』(85)を公開したのは西武百貨店系の今はなきシネセゾン(!)だったが、『恋恋風塵』(87)や『悲情城市』(89)を公開してヒットさせた。ジム・ジャームッシュも確かユーロスペースが映画祭で紹介していたが、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)を劇場公開して話題を呼んだ。

他社が公開していたアンドレイ・タルコフスキーも『ストーカー』(79)に始まって、『ノスタルジア』(83)『サクリファイス』(86)と続き、ゴダールも『パッション』(82)、『カルメンという名の女』(83)と次々に公開した。

80年代に始まったいわゆるミニシアター・ブームに乗って、新しくできた東宝のシャンテや西武系のシネ・ヴィヴァン(!)を舞台に世界のアート系の一流監督の傑作を公開し、ヒットさせたのが最大の功績だろう。その天才にふさわしく、人間としてはちょっとおかしかった。今日はここまで。

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コメント

1990年代から2000年代の多くの夜を新宿ゴールデン街の某バーで無為に過ごした私としては、去年の寺尾次郎さんとたむらまさきさん、今年の吉武美知子さんと柴田駿さんの死のショックは言葉になりません。そうして2010年代が終わろうとしている。2010年代の4人の生き方はそれぞれでしたが、みな生き急いだという点では共通していた気がします。私にとっては4人とも大切な師でした。ゴールデン街から遠く離れてしまった2010年代に自分が何をなし得たかと考えると、じくじたるものがあります。天国で仲良く(諍いも水に流して)飲んでいてくれたらいいな。

投稿: 古賀重樹 | 2019年12月17日 (火) 23時08分

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