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2020年1月15日 (水)

荷風の『日和下駄』を再読

前に読んだはずだが、法事で帰郷する時に永井荷風の『日和下駄』を持って行った。自宅の本棚で文庫本を探してこれを手に取ったら、「序」でやられた。「木造の今戸橋くも変じて鉄の釣橋となり、江戸川の岸はせめんとにかためられて再び露草の花を見ず」

つまり、大正時代の荷風が変わりゆく東京を嘆く。古臭い私にピッタリだと思って持って行ったが、飛行機の中でドンドン読めた。この本が大正四(一九一五)年に書かれたとは思えないほど、今の私の感覚に近い。

「輝く初夏の空の下、際限なくつづく瓦屋根の間々に、或は銀杏、或は椎、樫、柳なぞ、いずれも新緑の色鮮なる梢に、日の光の麗しく照添うさまを見たならば、東京の都市は模倣の西洋造と電線と銅像の為にいかほど醜くされても、まだまだ全く捨てたものではない」「もし今日の東京に果たして都会美なるものが有り得るとすれば、私は其の第一の要素をば樹木と水流に俟つものと断言する」

当時から比べたら105年後の現在は、火事も戦争の空襲もあっただろうし、そうでなくても多くの木々が切られたとは思うが、それでも樹木の緑は美しいと思う。自宅マンションの桜は23年前にできた時に植えられたものだが、もはや立派な幹を見せる。川もだいぶ埋め立てられたり、暗渠になったが、自宅近くの神田川を見ると安心する。

おもしろいのは醜いのが「模倣の西洋造と電線と銅像」であること。西洋造とは、この本のほかのページで荷風が非難しているレンガ造りで、さしづめ、東京駅や三菱一号館美術館や文科省のようなものだろう。今や現代的な高層ビルの合間にそれらを見ると安心するが、荷風が生きていたらどう思うだろう。

「現代人の好んで用ゆる煉瓦の赤色と松杉のごとき植物の濃く強き緑色と、光線の烈しき日本固有の空とは何たる永遠の不調和であろう」。今や明治建築はキラキラのビルに比べたらむしろ色褪せた感じなので、日本の自然に合う気もする。

電線はたぶん前より増えたはず。その一方で神楽坂通りもそうだが、一部の地区では電線を地中化している。ところで小池知事の公約の一つに電信柱の地中化があったが、あれはどこに行ったのだろうか。彼女の公約で唯一評価していたのに。

銅像だけは今は減りつつあるのではないか。政治家の銅像は建てなくなったし、昭和の時代にあった駅前の「平和を祈る少女像」の類もあまり見なくなった。荷風が生きていたら、意外に今の東京を評価するかもしれない。

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