久しぶりに現美へ:続き
久々の現美で見た展覧会の中身についても、少しは書いておきたい。「ダムタイプ|アクション+リフレクション」展だが、この評価は難しい。もともとはパフォーマンスを中心とした集団だったので、美術館での展示はどうしても「記録」に見えてしまう。
ダムタイプは私が仕事を始めた頃に知った。まず、南條史生氏が企画した「アゲンスト・ネイチャー」展に、今回最初の展示室にある《Playback》が出ていた。これは日本の現代作家を集めたグループ展で米国を巡回した画期的な展覧会だったが、そのサポートを国際交流基金でやることになり、新人の私は担当となった。私は米国では見なかったが、名古屋で開かれた帰国展は見た。
私が初めてゼロから作った企画は「Private Visions」という1980年代のビデオアートを集めたアンソロジーだったが、故・中村敬冶さんなど3人の方に作品選定をお願いした。そこにダムタイプのパフォーマンス《Pleasure Life》の記録映像が選ばれた。私はパフォーマンス自体は見ていなのでかったので、何とも隔靴搔痒の感じがした。
今回の展覧会もその感じがあった。たぶん《LOVERS》(1994)はその中では最も美術作品としてのインスタレーションらしいかもしれない。中央にあるタワーから、男女が裸で歩いたり走ったりする映像が360度に写される。タワーは観客の動きに反応して床に文字を見せる。人間のめぐりあいの難しさと資本主義下の監視社会を映像で集約したような展示は、確かに90年代半ばから見た近未来社会だった。
これはダムタイプの中心だった古橋悌二氏のソロ作品だが、彼が翌年エイズで亡くなったために、遺作として神話化されたかもしれない。私は当時見た記憶があるが、今改めて見ると、日本が世界のポストモダンをテクノロジーで牽引するさまを見せるような印象が強い。というより、ダムタイプの今回の展覧会自体が、どこか昭和末期から平成前半にかけての日本が、世界の未来像を「どうだ」と見せているように感じられた。
そういう意味では、常設展の一番最後にあった宮島達男氏の「それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く」(1998)という赤色発光ダイオードが無数の数字を点滅させる作品と印象が似ていた。英文のダムタイプの作品名と長い日本語の宮島の作品名を見るだけで、その「自信」がよくわかる。
「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」はそれと対局にあり、平成後半から現代にいたる日本の日常の美学があった。「つづく」という展覧会名でもわかるように、謙虚な装飾に囲まれて日々の暮らしがそのまま続く感じがよく出ている。下り坂を降りつつある日本人の一つの理想像に見えた。
どちらの展覧会も2月16日まで。《LOVERS》のみは1月19日までの展示。
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