恋人に唇を噛まれる河津清三郎
先日、今村昌平の『にっぽん昆虫記』(1963)を学生と授業で見ていたら、河津清三郎が吉村実子演じる若い恋人に唇を噛まれるシーンにハッとした。これは明らかにどこかで見たことがある。溝口健二の『祇園囃子』(53)で同じ河津が若尾文子に唇を噛まれていた。
10年の開きのあるこの2本は全く違う。『祇園囃子』は京都の芸者の話で、河津は大会社の専務で芸者を始めたばかりの若尾文子を気に入って、姉代わりの小暮美千代を伴って東京へ行く。そこで河津が若尾を抱き締めると、若尾は嫌がって思わず河津の唇を噛んでしまう。
その後河津は口に大きな包帯をして現れるから喜劇的でもある。いずれにしても小暮が嫌な役人と寝ることで万事はうまくゆき、若尾は河津と寝ることはなかったから、後味は悪くない。
『にっぽん昆虫記』は、東北の寒村で生まれたとめ(左幸子)が上京して、売春斡旋業で生き延びてゆく話。田舎で庄屋の息子に孕ませられた娘が大きくなって東京に出てくると、吉村実子演じる娘はいつのまにかとめの愛人である唐沢(河津)とも関係を結ぶ。吉村が河津の唇を噛むのは、あくまで愛の戯れで「痛いじゃないか」という程度で怪我はしない。
それでも10年後に同じ俳優に若い恋人に唇を噛ませた今村昌平は、明らかに溝口健二の映画を意識していたのではないか。このことはたぶんどこにも書いていないが、小津の助監督を何本もやった後に日活へ逃げて監督となった今村らしい皮肉ではないか。
吉村は河津の女になると思わせてお金をふんだくり、田舎へ帰る。騙された河津はバカみたいだが、印象に残るのは吉村の動物的なまでのしたたかさだろう。若尾文子は純潔を守るために男の唇を噛み、吉村実子は愛していると思わせるために唇を噛んで男から金をせしめる。
問題は、今『にっぽん昆虫記』を見ると、今村はその母娘や周辺の人々をあまりにも動物的に描き過ぎていることだろう。動物というより昆虫で、題名からしてそうだ。冒頭に昆虫が動くさまがアップで出てくる。カブトムシなどではなく、どちらかというとトイレにでもいそうな虫だ。
そして東北の農村の人々を、誰とでも関係を結ぶ動物のように見せる。左幸子の父は知恵遅れだが、左はそんな父が愛おしく、自分の乳を吸わせてやる。そして上京後のシーンでは、学生運動やデモや皇太子ご成婚などのニュース映像が執拗に流れる。左たちの人生はそんなものとは関係ない、という主張がくどいほど伝わってくる。
この映画はキネ旬ベストテンの一位で、毎日新聞では若き草壁久四郎が絶賛している。朝日新聞では戦前から活躍した長老格の津村秀夫が毛嫌いする文章を書いている。今読むと、津村の文章のほうがまともに見えるから不思議だ。
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