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2020年1月31日 (金)

「白髪一雄」展に考える

3月22日まで東京オペラシティアートギャラリーで開催の「白髪一雄」展を見た。白髪氏は戦後の日本美術で海外で最も知られた「具体美術協会」の主要メンバー。2008年に亡くなっていたが、大きな個展は東京では初めてという。

私はまだ20代の頃に、1990年にローマ、91年にダームシュタット(フランクフルト郊外)の2か所を巡回した「具体」回顧展の担当となり、「具体」の方々と一緒に旅行をした。そもそも美術展を始めたばかりで、この展覧会を担当するまでは「具体」という名前さえ知らなかった。

それだけに、1950年代半ばから過激な活動をして60代半ばの「芸術家」たちの印象は強烈だった。それ以上に彼らが若い頃に発表した作品にはびっくりした。白髪一雄さんは、キャンバスの上に足で絵を描いていた。その絵には赤や黒の分厚い絵の具がべっとりと塗りたくられていた。

今回1949年から2000年までの白髪氏の作品を見て思ったのは、初期を除くと、手法もコンセプトもほとんど変わっていないということ。初期にはシュールな絵があったり、キュビスム風の作品もあるが、1955年に具体美術協会に加わったあたりから具象性が消えて、57年頃からはインクを足で塗り付ける手法が始まっている。

70年代頃は足ではなく木ベラを使うようになってタッチもスムーズになるが、その後また足で描く手法を再開している。天井からロープを吊り、それにぶら下がって足をキャンバスの上ですべらせて描く。90年の春に尼崎のご自宅に伺った時は、「最近は足が痛くてしんどい」という話を聞いた。

今回の展覧会で60年頃の作品の製作過程を撮った写真や映像を見た。同じ「具体」メンバーの金山明さんや元永定正さんとふざけている写真もあった。一緒にローマなどに行ったが、みなさん亡くなっている。白髪さんがロープにぶら下がって絵を描く動画には、いつもそばに富士子夫人がいて手伝っていた。よく見るとあちこちの写真や映像に夫人がいた。

富士子夫人はローマにも来た。彼女も絵を描いていた時期があり、それも展示されたから。白髪さんは着いた日にローマ三越から日本酒を半ダース届けさせて、毎日晩酌をしておられた。

今回の解説パネルで、1970年頃比叡山に通い天台宗の僧侶となっていたことを知った。奥さんに手伝ってもらって足で絵を描くこと、神に祈ること、酒を飲むこと、そのすべてがあの求道的な絵画につながっているような気がした。

 

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