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2020年1月 2日 (木)

『つつんで、ひらいて』を年末に見る

年末から大学教師の本格的な雑用が始まる。3月初旬まで、期末試験の作成と採点、課題の採点と成績評価、卒論・卒制の採点と審査、2度にわたる入試の立ち合いと採点など、有無を言わせない「作業」が目白押しとなる。

まずは自分が指導を担当している卒論の仮提出分を読むのが冬休みの一番の仕事。これを休み明けに朱を入れて渡し、1週間後に本提出となる。31日の午後にそのメドがついたので、なにか「間違いのない」映画を見ようと思って選んだのが廣瀬奈々子監督のドキュメンタリー『つつんで、ひらいて』。

装丁家の菊池信義氏を4年間追いかけたドキュメンタリーと聞いて、これは外さないと思った。廣瀬監督は是枝裕和監督の分福に属し、前作『夜明け』もなかなかの出来だった。菊池信義氏は装丁家としては長老格で、私もその名前はかなり昔から知っていた。

私自身は展覧会や映画祭のポスターやカタログを山ほど作ったので、いわゆるグラフィックデザイナーとは30人以上と仕事をした。そのうえ、2003年に「田中一光回顧展」を企画した時に、永井一正、勝井三雄の両大御所と仕事をし、粟津潔さんや横尾忠則さんや福田繁雄さんなどにも会った。一時期はかなりデザイン界に詳しかったはず。

しかし、本の装丁はちょっと特殊な世界で、ポスターや広告のように華やかではない。菊池氏はひたすら単行本を1万5千冊も作った。そのやりかたはまさに「つつんで、ひらいて」で、題名や著者名の文字を作って、本のサイズの紙の上に置き、インクや紙を選ぶ。わざわざ印刷所まで出かけて、色の出具合を確認したり、製本屋でカバーの折り方を見たり。

驚くのは本人がコンピューターを使っていないこと。あくまで紙と鉛筆と糊とハサミとピンセットと定規を使って、文字を乗せてゆく。36年働いているという女性のアシスタントがそれをスキャンしてデジタル化し、微調整をする。もはやこんなデザイナーはいないのでは。

彼がほとんどの本を手がけているのは小説家の古井由吉氏の小説で、本人も出てくる。あとは哲学書や詩集などが多く、出版社もいわゆる大手はない。彼が装丁家を目指すきっかけは駒井哲郎氏が装丁をしたモーリス・ブランショ『文学空間』で、彼が同じブランショの『終わりなき対話』全3冊に力を込めて装丁する様子がしっかり出てくる。

古井由吉といい、ブランショといい、私にとっては30年ほど前に打ち込んだ対象だ。そういう本がまだ出ており、菊池氏は時間をかけてその本を作る。もはや現代の出版界からかけ離れた世界だが、出版というのはこういう「小商い」を涼しい顔でできるところが、映画とは大きく違う。しかし、この映画からは今の出版事情もグラフィックデザインの現在も見えない。監督には、「幸福な少数派」Happy Fewを描いているという意識さえなかったのでは。

去年はスクリーンで205本を見た。最近では少なめだが、今年はもっと減らそうと思う。

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