ハマスホイの静寂
上野の東京都美術館で「ハマスホイとデンマーク絵画」を見た。デンマークで1900年前後に活躍した画家ヴィルヘルム・ハマスホイは2008年に「ハンマースホイ」として、忽然と国立西洋美術館で大きな個展が開かれて、一部で話題になった。見た人はまるで幽霊でも見たように「不思議な絵だった」と語っていたが、再び日本で見られることになったので、喜んで出かけた。
前回の展覧会がどうだったか記憶にないが、今回は「ハマスホイとデンマーク絵画」という題名で、実は86点のうち半分を超す49点はハマスホイ以前か同時代のデンマーク画家の作品が並ぶ。つまり3階の会場のうち、1階と2階の途中までが19世紀前半からのデンマーク絵画だが、私は1人も名前を知らなかった。
なかにダンクヴァト・ドライアという画家がいたが、綴りからするとデンマークの映画監督のカール・ドライヤーと同じ。風景が多いが、ハマスホイと同じくほとんど人がいない絵が多い。「スケ―イン派」と呼ばれる北端のスケ―インに集まった画家たちの絵は、とりわけ暗くて寂しい。ミケール・アンガ、ヴィゴ・ヨハンスンなどなかなかいい。
19世紀後半になると、ハマスホイと同じタイプの絵が出てくる。カール・ホルスーフ、ピーダ・イルテルズ(その妹がハマスホイの妻)、ピーザ・スィヴェリーン・クロイアなどが描く後ろ向きの少女や女性は、構造といい、雰囲気といい、ハマスホイに近い。私はユーリウス・ポウルスンの《夕暮れ》という絵に描かれたまぼろしのような木に強く惹かれた。
それらの同時代画家とハマスホイが違うのは、どこか厭世的である意味では非人間的な感じがどの絵にも漂っていること。彼が活躍したのは1900年前後の10年ほどだが、アメリカで20世紀中盤に活躍したエドワード・ホッパーさえ思わせるようなクールさがある。《夜の室内、画家の母と妻》(1891)なんて、編み物をする妻と本を読む母が暗い部屋にいて、全く別方向を見ている。
一番好きだったのは、実は日本の国立西洋美術館所蔵の《ピアノを弾くイーダのいる室内》(1910)で、手前の部屋に誰もいないテーブルが2つあり、開いた扉の向こうの部屋に後ろ向きでピアノを弾く女が小さく見える絵だ。窓は見えないが、明らかに左からは光が射している。女の上にも手前の部屋にも暗い絵がかかっている。ほとんど墨絵のような色彩の扉や絵やピアノの枠構造の渦の中で、死にそうな女がピアノを弾いている。
「デンマークのフェルメール」という言葉があったが、窓から光が射す室内に女がいて、彼女の周りの細部が謎に満ちている感じは似ている。しかしそこにはエドワード・ホッパーに通じる孤独がある。その宗教性と現代性は、まさにデンマークの監督、カール・ドライヤーを思わせる。
ふだん私は美術館では何も買わないが、思わず絵葉書を10枚近く買った。もちろんカタログの方がいいが、もはや置く場所はない。しばらくは絵葉書を眺める日々が続きそうだ。
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