受験の昔話の続き
結局、私は早大に行かずに九州大学に入った。試験の時は、肝炎治療のために受験直前まで病院にいて前日に福岡に泊まった。共通一次試験(いまなくなろうとしている「センター試験」の前の形)が始まって2年目で、試験会場は何と予備校の水城学園(今はない)だった。
当時は最高級だった西鉄グランドホテルに泊まった。このホテルは今もあるが、今や福岡もヒルトンやグランドハイアット、日航、オークラなどができて影が薄い。西鉄グランドは試験会場に歩いて行ける(「親不孝通り」!)から選んだが、自分ながら身分不相応な気がして、あまり眠れなかった。試験の内容はさっぱり覚えていないが、あまり調子がよくなかったと思う。
専門試験は箱崎の文学部校舎だった。その時は気分を変えようと、中洲の東急ホテルに泊まった(今はたぶんない)。こちらは新しくてよく眠れた。試験は英語と国語と小論文だった。覚えているのは小論文で仏像とキリストの磔刑像の写真があって、2つを比較して述べよというもので、我ながら実によく書けた気がした。2年前に入学していた姉の友人を見つけて、「行きますからよろしく!」と大きな声を掛けたのを記憶している。
2回の九大の試験で、昼食のことは記憶にない。何を食べたのだろうか。合格の通知が来たので、自分で大学に電話して「一年間病気で通学するので、書類を送って欲しい」と伝えた。3月までに書類を送れば治療の補助金が出るとのことで、慌てて書いた。
早稲田などの合格は、川崎に住んでいた姉が見に行ってくれたが、もともと九大に通ったら行くつもりだったので、未練はなかった。結局、九大を出てからのこのこと東京に出てきて今もこちらに住んでいるわけだが、当時は考えもしなかった。受験の時に経験した京王線の満員電車はとてもこの世とは思えなかった。
そういえば東京に受験に行った時に覚えているのは、朝、若い会社員が「昨日、あれから雨にぬれちゃってさ、さんざんだぜ」と友人に語っていた言葉だ。「ちゃってさ」などと言う人種が本当にいるのだと驚いた。
休学中は夏まで病院にいて、その後は自宅で過ごした。もちろんすることはないから、本を読む。体は動かした方がいいというので、よく犬を連れて家の前の山(というか丘)に登った。だいたい本を持っていき、山の頂上の原っぱで寝転がって読んでいた。自然の真ん中で重い岩波書店の古典文学大系の『新古今和歌集』などを広げて読んでいた。
当時、これに勝る極楽はないだろうと思ったが、確かに今、東京に住んで大学と試写と映画館と美術館と飲み屋に通う生活よりも何倍もいい。早く大学を辞めてその生活に戻りたい。
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