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2020年2月 6日 (木)

『淪落の人』に見る香港

「日経」で宇田川幸洋さんが短評ながら4つ星をつけていた香港映画『淪落の人』を見に行った。まず、題名がいい。今どき映画の公開題に「淪落」という文字を使うなんて。調べたら原語でも「淪落人」だったので、なお惹かれた。

女性監督オリヴァー・チャンの初長編製作だが、フルーツ・チャンが製作に加わっているのも気になる。というわけで、劇場に行ってみた。

映画は、事故で車椅子生活を送るチョンウィン(アンソニー・ウォン)を描く。彼のもとに新しいフィリピン人メイドのエヴリンがやってくる。最初はぶっきらぼうなチョンウィンだが、次第にエヴリンに打ち解けてゆく。エヴリンには写真家になるという夢があったが、チョンウィンはそれを応援する。

夏、秋、冬、春、夏(中国語も同じ漢字なのに改めて驚く)と季節は一巡し、最後にエヴリンは去ってゆく。それだけの話だが、2人のぎこちない心の触れ合いが繊細に描かれていて見ていて気持ちがよかった。後半には少し涙が出てしまった。

老人の介護を描いた香港映画に、アン・ホイ監督の『桃さんのしあわせ』という似たトーンの映画があった。こちらで出てくる桃さんは老人だが、今回の映画のチョンウォンは最初は老人に見えるが実は中年だと気づく。アメリカで大学を卒業する息子や訪ねてくる不仲の妹などを見ると、足が不自由なだけで60歳前後だとわかる。

調べてみたら演じているアンソニー・ウォンは私と同世代。私が車椅子生活になったとして、自分の言葉をロクに話さない外国人のメイドを雇うというのは考えにくい。『桃さんのしあわせ』も、元はメイドだった桃さんの話で、香港にはメイドという欧米的な習慣が根付いているのだと思う。

エヴリンがSNSで知り合った香港に住むフィリピン人メイド数人と会って、いかに香港で生きてゆくかをおしゃべりをするシーンは、まさに香港ならでは。香港には毎週日曜日にフィリピン人メイドが集まる公園があるというのを、前にどこかで読んだ。

メイド文化がいいか悪いかは別にして、こんな西洋的な習慣を身につけていたら、自由を抑圧する中国政府なんて本当に嫌だろうなと思う。映画としては可愛らしい小品というところだが、改めて香港という特殊な都市について考えた。

そう言えば、「淪落人」という言葉は白居易の「琵琶行」から来ているという。「同是天涯淪落人/相逢何必嘗相識」=「天地の果てにうらびれた者同士/会ったことのない者がこうして出会うのも何かの縁だろう」。つまりチョンウォンとエヴリンの2人が「うらびれた者同士」というわけで、「淪落人」とはなかなか粋な言葉だと思う。果たして今の香港人はこの意味がすぐにわかるのだろうか。

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