ほぼ無人のアーティゾン美術館を楽しむ
都知事の週末の「外出自粛」に逆らって、京橋の「アーティゾン美術館」に行った。京橋のブリジストン本社にあった「ブリジストン美術館」が1月に全面改装して2倍の2100平米の展示室になり、館名も変わった。31日(今日!)までの3フロアーのコレクション展を見たいと思った。
都知事の週末の「外出自粛」に逆らって、京橋の「アーティゾン美術館」に行った。京橋のブリジストン本社にあった「ブリジストン美術館」が1月に全面改装して2倍の2100平米の展示室になり、館名も変わった。31日(今日!)までの3フロアーのコレクション展を見たいと思った。
ドイツ占領下のフランス映画について調べながら、同時に日本統治下の朝鮮映画についても考えている。朝鮮映画については既にここで何度か書いたが、最近気になっているのが二重言語状態、つまり1本の映画で日本語と韓国語が混在していることだ。ドイツ占領下のフランス映画ではすべてフランス語なのに。
新コロナウィルスについては、わからないことが多すぎる。最近「そうかな」と思ったのは、欧米で流行しているコロナウィルスと中国に始まって日本を含むアジアで広がったコロナウィルスは別物ではないかという説で、朝日新聞のローマ支局が現地の研究者の見解として書いていた。
5月2日公開予定の想田和弘監督『精神0』を見た。この監督の「観察映画」第9弾だが、第2弾の『精神』(2008)の続編のような作品だ。『精神』は、精神科診療室「こらーる岡山」に集う患者さんたちを描いたものだが、そこの山本医師が妙に印象に残った。
昨日の夕方6時頃、スーパーに行って驚いた。玉ねぎ、じゃがいも、人参といった「いつもある野菜」の棚がすっからかんで一つもなかった。何か大変なことでも起こったのかとネットを見たが、特に何もなさそうだ。
昨日、私が勤務する大学で卒業式があった。「あった」といっても、「式」自体はなかった。もともと大学全体の式は武道館が改装中なので各学部で行う予定だったが、それもなくなって学科単位になった。
最近の韓国映画は『タクシー運転手』や『工作 黒金星とよばれた男』のように、現代史を描くものが多い。4月25日公開の女性監督キム・ボラの長編デビュー作『はちどり』も、中学2年生の娘の日常を描きながら、1994年の韓国を克明に写し取っている。
先週木曜の「専門家会議」の提案を受けて、文科省が小中高校再開へと舵を切る流れになってきた。先月の27日に突然休校を「要請」した時は、批判が多かった。私も特に子供は関係ないだろうと思った。その前日に文化・スポーツイベントの中止を呼びかけたことと同様、根拠のない思いつきに見えた。
グザヴィエ・ドランの新作『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』を劇場で見た。1989年生まれのこの監督は、『私はロランス』(2012)に衝撃を受けて以来、すべて(といっても新作を含み7本)見ている。しかし最近の『たかが世界の終わり』(16)にはちょっとうんざりしていた。
四方田犬彦著『無名 内田吐夢』について、もう少し書いておきたい。内田吐夢について一番知りたいのは、なぜ彼が8年も中国に留まったかということである。これについては内田本人も敢えてあまり触れていない。この本は、四方田氏がかつて満州映画協会(満映)で働いていた4人と内田たちがいた場所を訪れた場面から始まる。
前川喜平氏は私にとって妙に気になる存在だ。元文科省の官僚トップにいたのに、辞めてからは正面から安倍首相批判をしている。安倍政権を揶揄した映画『新聞記者』にも本人として出ていた。そこで彼が「企画」としてクレジットされている隅田靖監督の『子供たちをよろしく』を劇場で見た。
昨晩、コロナ関係で大きな発表が2つあった。1つは「専門家会議」の見解で、予想した通り「持ちこたえているが一部で感染拡大」と玉虫色でよくわからない。もう1つは映画業界にしか関係がないが、カンヌ国際映画祭からの公式発表だ。
4月から授業が始まるのかわからないが、その準備のために第二次大戦中のドイツ占領下のフランス映画をDVDで見ている。「ドイツ占領下」と言ってもそんなに区切りが簡単ではないことは、wikiを見るだけでもわかる。映像でも有名なパリへのヒトラーの無血入城が1940年6月16日で、それからペタン元帥は休戦条約を締結し、対独協力のヴィシー政権ができる。
昨日驚いたのは、フランスのマクロン大統領の演説だ。5、6分のうちに「我々は戦争状態にある」と正面を向いて真顔で何度も言った。ネットにはその動画がいくつも挙がっている。原則として外出禁止、会社に行く場合は在宅勤務は無理という証明書が必要、あとは生活必需品の購入のみが認められる。
アンスティチュ・フランセ東京でアフシア・エルジ監督の『君は愛にふさわしい』を見た。去年のカンヌの批評家週間で上映された作品だが、一昨日ここに書いたレクチャーを聞くついでに見た。これが第一回監督作品とは思えないほどの佳作だった。
コロナ感染に関し、3月9日の「専門家会議」は「爆発的な感染拡大には進んでおらず、一定程度、持ちこたえているのではないか」「少なくとも約2週間後でなければその効果を推定することが困難であり、その後、複数の科学的指標を用いて効果を判断し、3月19日頃を目処に公表する」とした。それを受けて首相や厚労省が同様の発言をした。
アンスティチュ・フランセ東京の「映画批評月間」で、オリヴィエ・ペール氏のレクチャーを聞いた。「映画を見せること、語ること、作ること—上映、製作、配給の現在、そして国際共同製作の可能性について」というずいぶん長いタイトルだった。
4月3日公開のジム・ジャームッシュ監督『デッド・ドント・ダイ』を試写で見た。ジャームッシュが作るゾンビ映画ということで期待したが、彼らしいとぼけたおかしみが随所に溢れる映画で大いに楽しんだ。
大学の教師にとって、春休みは一番自由な時間がある気がする。もちろん2月以降、授業の採点、卒論・卒制の審査、入試・採点などの物理的な拘束や締め切りはあるが、それ以外は意外にポンと空く。私にとっては夏休みより時間がある感じ。
4月3日公開のワン・シャオシュアイ監督の中国映画『在りし日の歌』を見て泣いた。正確に言えば、泣くかなと予想していたが、やはり涙が出た。チラシによれば「中国が大きく揺れ動いた1980年代から2010年代。激動の時代を生きた夫婦の、かけがえのない歳月」。
天皇崩御だろうが大地震だろうが、私の生活はあまり変わらない。映画や展覧会を見て本を読み、文章を書いて人前で話す。夜は家でも外でも酒を飲む。そう思っていたが、今回のコロナ騒ぎでは少し変わった。何とスマホを見る時間が増えた。
アリ・アスター監督の『ミッドサマー』を劇場で見た。この監督で話題になった初長編『ヘレディタリー/継承』は見ていないが、今回は映画の現場で働く40代の友人がフェイスブックで激賞していたので、見てみようと思った。かなり当たっているのも気になった。
今は美術館の多くが休館している。調べてみたら、国立、都立、私立の大きな館がすべて閉じていた。おかしいのは目黒、板橋、練馬などの区立美術館が開けていること。そのほか、永青文庫、ワタリウム美術館、日本民芸館、弥生美術館など小規模の私立美術館が開館中だ。
若松節朗監督の『Fukushima 50』を公開2日目に劇場で見た。実は予告編で見るだけで涙が出そうだったので、見ようと思っていた。もちろん『沈まぬ太陽』の監督だから、それほど期待できないことはわかっていた。
濱野ちひろ著『聖なるズー』を読んだ。昨年末に出ていくつかの書評で話題になっていた本だが、いわゆる「獣姦」を扱ったもののようなので遠慮していた。本屋で犬の大きな写真を使った表紙がいい感じなので手に取ると、いきなり「プロローグ」に著者が受けた性暴力の話が出てきた。
シリアの惨状を撮ったドキュメンタリー『娘は戦場で生まれた』を劇場で見た。予告編を見て、これを見るのは現代に生きる者の義務ではないかと思ったからだ。映画(というか映像の断片)は、2011年に「私」が学生だった頃から始まる。
フィンランド映画『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』を劇場で見た。画商の駆け引きやオークションの話は好きだし、予告編で見たヘルシンキの街並みが懐かしかった。ヘルシンキは3年半前に1週間近くいて、その雰囲気が妙に気にいった街だった。
先日、東京国立近代美術館の工芸館が金沢に移転するので見に行った話を書いたが、コロナウィルス騒動で東近美自体が28日に閉じることになった。東近美本館で始まったばかりの「ピーター・ドイグ展」は6月14日までだが、今の雰囲気だといったん閉じたらいつ再開するかわからない気がして、28日に慌てて見に行った。
現在公開中の三島有紀子監督『Red』について書く。実は去年末に試写で見ていたが、あまりピンと来なかったので、公開後にアップすることにした。彼女の『幼な子われらに生まれ』もそうだったが、まず設定が「いかにも」で引いてしまった。
ちょうど1年前頃に話題だったチェ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジョウン』をようやく読んだ。買ったのは何と14刷だったが、既に15万部を超えているらしい。韓国の現代小説としては、異例のヒットだろう。
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