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2020年3月 6日 (金)

『娘は戦場で生まれた』が見せる現実

シリアの惨状を撮ったドキュメンタリー『娘は戦場で生まれた』を劇場で見た。予告編を見て、これを見るのは現代に生きる者の義務ではないかと思ったからだ。映画(というか映像の断片)は、2011年に「私」が学生だった頃から始まる。

「私」ワアド・アルカティーヴはこの映画の監督で、学生の時からジャーナリストを目指して古都アレッポでアサド政権に抗議する若者たちを映像に収めている。映画はその頃から2016年を行き来し、幸せな日々と爆撃を恐れて逃げ回る現在を対比して見せる。2015年までは政権への反対デモの盛り上りや雪の日の祭などの幸せな映像があった。

その頂点にワアドの医師ハムザとの結婚がある。2016年2月にワアドは出産し、サマ(「空」を意味する)と名付ける。映画の原題はFor Sama(=サマのために)で、それ以降の映像は「あなた」とサマに話しかけるナレーションが付く。

16年6月にロシアの支援を得た政府軍に包囲され、町全体への爆撃が始まる。サマはワアドと広い自宅を手に入れるが、そこでも絶えず爆弾の音が近くで響く。8つの病院はすべて爆破され、医師たちは地図にない建物を病院にして負傷者が次々に運び込まれる。

映画で血を見ることは多いが、本物の血糊をこれほど見たことはない。病院には血を流す重傷者や死者が運び込まれ、床にはべっとりと血が流れ、人々はその上を滑りながら歩く。担架が足らずに血糊の床で重傷者を引っ張ることもある。

妊娠9カ月の女性が重傷で運び込まれる。医師は帝王切開し、赤ん坊を引き出すが、動かない。体を叩き、上にしたり下にしたりして刺激を与えているうちに、だいぶたって赤ちゃんの泣き声が聞こえる瞬間は壮絶だ。これほどインパクトのある出産の映像を見たことはない。

生まれて数カ月のサマは、街頭や病院を撮る母親について回る。夫のハムザは毎日毎日メスを握り、重傷者を処置してゆく。20日で800人を手術したと語っていた。そして包囲6か月後、アレッポを出る決意をする。政府軍の関門を通り抜けるが、ネットでメディアのインタビューによく出て語っていたハムザとアレッポの映像を撮っていたワアドは大丈夫なのか。

画像は時にはスマホだし、ブレブレで最初は気になる。ところが途中から目が離せなくなり、見終わるとどっと疲れた自分に気がつく。同時にこの映像で起きたことの背景をほとんど知らない自分に気がついて、深く恥じる。やはりこれは、コロナウィルスを恐れてマスクをしたりトイレットペーパーを買い占めたりしている呑気な日本人が見る「義務」がある映画だ。

映画はワアドが発信した映像を見た英国のテレビ局チャンネル4が製作し、社会派のドキュメンタリー作家エドワード・ワッツが共同監督をしている。このような支援の方法もある。映画館は、この時期にしてはかなり混んでいたのが救いだ。

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