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2020年3月15日 (日)

オリヴィエ・ペールのレクチャーに考える

アンスティチュ・フランセ東京の「映画批評月間」で、オリヴィエ・ペール氏のレクチャーを聞いた。「映画を見せること、語ること、作ること—上映、製作、配給の現在、そして国際共同製作の可能性について」というずいぶん長いタイトルだった。

聞き手の土田環氏が彼のキャリアを追いながら的確な質問をしたので、その生き方とその哲学がよくわかるレクチャーだった。以下はそのまとめ。

彼はサン・テチエンヌというフランス中部の町で育ち、大学入学でパリに来た。卒業後1995年からシネマテーク・フランセーズに勤め、番組編成の助手を務めた。その時に学んだのは、映画のモデルニテ(新しさ)はいつの時代にもあること、番組編成は作品の組み合わせで映画史の再編ができること、ある監督のすべての作品を見ることが重要なこと。

2004年から2009年までカンヌの監督週間のディレクターになり、シネマテークで勤めながら新作を選ぶ仕事を始めた。2009年にロカルノ映画祭のディレクターになった時は、シネマテークで培った古典に新しい光を当てる仕事とカンヌで学んだ新作を選ぶことを組みあわせた。ロカルノではルビッチ、ミネリ、プレミンジャーといったアメリカの監督の特集をやった。

シネマテークにいた時は一生この仕事をしたいと思ったが、ロカルノはそんなに長くは続けたいとは思わなかった。2012年にロカルノを辞めて衛星放送のアルテの映画部門のトップに就いた。これはある意味で映画祭の延長線上で監督を支える仕事だが、実際にお金を出すことが違った。毎年25本ほど出資するが、総額は1000万ユーロ(約12億円)。そのほかアルテで放映する新作や古典も選んでいる。

映画を選ぶ点では映画祭もアルテの仕事も同じだが、シナリオを読んでスタッフ・キャスト表や予算を見て結果を予測するのは出資ならでは。映画批評はシネマテークにいた時からやっていたが、今は批評が観客を動員できなくなった。かえってブログの方が新聞や雑誌の批評より信頼されている場合もある。

映画製作にお金を出しても、映画祭で上映されても、観客が少なくとも5万人はいないと作り手の次がなくなる。1万人では困る。映画を支える共同体が必要なのだ。アルノー・デプレシャン監督と語った時に、アンドレ・バザン、フランソワ・トリュフォー、セルジュ・ダネーの3人のうちトリュフォーだけが監督だが、彼らの批評は監督たちの仕事に劣らないくらい重要だという話になった。

実は私は彼に2007年頃に会っていた。ポンピドゥーセンターの友人の学芸員の娘が当時彼とつきあっていて、学芸員の家の夕食で会った。レクチャー後にそのことを話したら「いい女性だった」。その娘と別れたのかも。「カンヌのトップをやったら?」と聞くと「まあ、それは何とも言えない」と苦笑い。「シネマテークのディレクターは?」と聞くと「もし、機会があればね」とこちらは嬉しそうだった。

彼は私より10歳若い。私も映画祭をやったしそこで古典も新作も選んで上映した。その後映画製作の出資も担当した。しかしなんという違い!(Quelle difference!)

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