『その手に触れるまで』のシンプルな強さ
今ではもちろんプレス試写はないが、5月22日に公開(されるはず)のベルギー=フランス映画『その手に触れるまで』をだいぶ前に見た。70代後半のダルデンヌ兄弟監督の最新作だが、そのシンプルな強さに驚いた。一番の飲み頃を少し過ぎた、枯れて澄んだ感じのワインといったらいいのか。
終わりに画面が真っ黒になってシューベルトのピアノ曲が鳴り始めた時「えっ、これだけ?」と思ったが、時間がたつとそのピュアなサスペンスの持続から、アメッド少年の心の揺れがだんだんと伝わってきた。
最近の『サンドラの週末』(2014)や『午後8時の訪問者』(16)もワンテーマで迫ってくる展開だったが、今回はさらに世界が狭い。13歳のアラブ系の少年アメッドはゲームが好きな普通の少年だったが、ある時からイスラム教の聖典であるコーランに夢中になる。
彼はイスラム原理主義者の導師の言葉を真に受けて、自分を無学から助けてくれた女性教師イネスにナイフを向ける。アメッドは捕まって少年院に送られるが、そこでの牧場研修で女の子ルイーズと出会う。しかしアメッドの宗教心は揺るがない。
ポイントは少年の思い詰めた心で、それ自体はよくあることだ。問題はそれが狂信的なイスラム教であり、それまでアラブ人ということで受けてきたさまざまな差別の記憶と共に、純化してゆく。そして父が出て行った後に、男性を連れて来たり酒を飲んだりする母を毛嫌いし、別れに握手しようとするイネス先生を避ける。
宗教に支えられた清潔観念が純化し、誰も止められない。女の子との恋愛さえもそれを打ち破ることができない。一番最後の最後にそれがはじけてある種の希望が生まれるが、全体を覆う暗澹たる感じは続く。そもそもこの少年のまじめな心は悪なのか、どうなのか。先生に刃物を向けるのはよくないのは間違いないが。
ヨーロッパだと目の前に多くのイスラム教徒がいるからこの映画はリアルだろうが、日本にはイスラム教徒が少ないから、我々はこの問題には鈍感だという気がする。こうした真面目な少年がテロリストになることも日常茶飯事なのだろう。日本はイスラム教だけでなく、宗教そのものが人々の心に希薄なために、この少年の心はわかりづらいかも。
映画は少年のある意味でピュアな心の動きだけを見せて終わる。しかしそこには、「だから何だ」と言って逃げることはできない強度が漲っている。予定通り公開されますように。
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