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2020年4月13日 (月)

コロナ騒ぎで何が変わったか:その(12)散歩を始める

私は昔から「散歩」というものが、苦手だった。理由は「そんな暇はない」で、その分スポーツジムに行く。あるいは毎日の移動を走る。授業から試写会へ、会議から飲み会へと毎日走る。ところがスポーツジムは閉じ、授業も試写会も会議も飲み会もなくなった。そこで健康のために散歩が始まった。

自宅近くだと、江戸川橋沿いが一番いい。1週間前までは桜が少し残っていて、花びらが川べりの道や川の水面を敷き詰めていた。いまでは終わったけれど青葉が美しくなってきたし、八重桜はまだ残っている。

この途中には、椿山荘や永青文庫の方に登る急な坂道がある。1つは山の斜面をジグザグに登る感じで、もう1つは永青文庫や和敬塾を左手にかなり急な石段を上がる。永青文庫はもちろん細川護熙の細川家コレクションを展示するものだし、和敬塾は前田喜平前文科次官の祖父が作った大きな学生寮で、元は細川家の本家があったところ。

目白通りに出て左側に歩くと、旧田中角栄邸で今も「田中」の表札がある。右側に歩くと野間記念美術館。今は改装中で閉まっているが、講談社の野間家の日本画を中心としたコレクションが収蔵されている。それをさらに下に降りると椿山荘がある。ホテルだから泊まらなくても誰でも入れるが、ここに入る時は少しまともな格好をする。

椿山荘は明治の元老、山縣有朋の旧宅である。もともとは料亭や宴会場だったが、フォーシーズンズと組んでホテルになった。今はフォーシーズンズと別れて椿山荘ホテルとなっている。もともと「つばきやま」として広重の「江戸名所百景」にも出てくるが、昔から椿の名所だった。

山縣は椿山荘を山口・萩の同郷の藤田平太郎に譲った。これがゼネコンの藤田組(今のフジタ)で、ホテルは今は藤田観光。つまり江戸川橋沿いから目白方面へ坂を登って降りるだけで、山縣有朋、田中角栄、細川家、野間家、藤田組を経て前川喜平まで、明治、大正、昭和、平成、令和の権力と富の歴史が迫ってくる。

椿山荘は庭がすばらしい。ホテルニューオータニの庭もいいが、こちらはプールがない代わりに庭が斜面であちこちに池がある。丘の上には三重の塔まであって、これは広島の寺を山縣が移築したもので、室町時代の木が使われているという。山縣も藤田も全国各地の寺や屋敷を移築し(それらは今は園内の料亭)、椿を始めとした花を移植した。

つまり金に飽かせて全国の「いいとこどり」をした結果がこの庭園。若冲が下絵を描いた仏像や木喰の仏像まである。これは萩、これは沖縄と全国の椿も楽しめる。そしてこの庭園は泊まらなくても、レストランを使わなくても昼間は誰でも入れる。そのうえ、ほぼ誰もいない。私には最高の楽園である。こう書いたら人が増えるかな。それは考え過ぎか。

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