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2020年4月12日 (日)

『巨人伝』についてもう一度

伊丹万作の『巨人伝』(1938)についてもう一度書く。この映画は神保町シアターの「生誕百年記念 映画女優・原節子」で見たが、18歳の原節子は真ん中を過ぎてからの後半にしか出て来ない。そのうえ、洋装はよく似合うがお世辞にも演技がうまいとは言えない。

2年前の山中貞雄監督『河内山宗俊』では初々しく鮮烈な印象を与えるが、この映画ではただ可愛いだけで父にすがり、恋人の龍馬(佐山亮、坂本龍馬とは関係なく、劇中でも「りゅうま」と呼ぶ)にすがるのみ。彼女が演じる千代子は恋人を家の裏門に呼び出したり、手紙を書いたりはするが。

それよりも伊丹万作の演出は、父の三平(大河内伝次郎)のすべてをはねのける超人的な生命力や怪力を描くことに向けられる。あるいはそれを追う警官の曽我部(丸山定夫)の執念や2人の追っかけのアクションを何度も見せる。

そのアクションが最大に発揮されるのは、終盤の西南戦争。薩摩軍と官軍が各地で銃撃戦を繰り広げる。千代子と会っているうちに戦争が始まったことに気づいた龍馬も、途中から慌てて参加する。日本は島国なので、銃を使ったこういう市街戦は江戸時代以降あまりないのではないか。家財道具をリヤカーに積んだり両肩に下げて逃げ惑う町民たち、燃え盛る民家やお店の大迫力。

龍馬は重傷を負うが、それを見つけた三平は「死ぬんじゃないよ」と肩に背負って戦火の中を走る。山を登り、川の中を歩いてとうとう娘の待つ家まで連れて帰る。横になった龍馬は意識が戻り、千代子と再会して言う。「戦争よりほかにすることがなかったのです」。最後は原作とは異なり、両親のいない龍馬の親代わりの叔父を三平が説得して若い2人が一緒になるというハッピーエンド。

原節子は前年の『新しき土』で国際派女優として一挙にスターになり、ドイツを始めとして欧米を回った。そして帰国後の映画がこれだと「大根役者」と言われたのもわかる気がする。それゆえに、映画界入りのきっかけを作った叔父の熊谷久虎監督は翌1939年の『上海陸戦隊』で、原節子に日本兵に反抗する過激な中国娘の役を演じさせたのだろう。

こちらの映画で原は怒りで全身を振るわせて日本兵を罵り、もらったおにぎりを投げ捨てる。文字通り捨て身の演技があったから、1943年の今井正監督が朝鮮で撮った『望楼の決死隊』では、警察署長の妻ながら大きな存在感を見せる。最後には銃を取って敵を撃つのだから。

『巨人傳』を見た神保町シアターはコロナ対策で半分の席をつぶしていたが、残り半分の48席がほぼ満席。しかしその2日後には閉じてしまった。

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