日本統治下の朝鮮映画について:その(3)『迷夢』から『朝鮮海峡』へ
1936年の『迷夢』は朝鮮映画で現存する最初のトーキー映画である。日本統治下であっても、すべての会話は朝鮮語で日本の要素はほぼない。この映画は自由を求めて夫を捨てて京城の街を彷徨うモガを、当時の三大女優の一人、文藝峰(ムン・イェボン)が演じる。
ラストは、ダンサーを追いかけた彼女が乗ったタクシーが偶然にも娘をひいてしまう、というちょっとでき過ぎたもの。彼女は病院で娘を見て、自分の犯した過ちの大きさに気づき、服毒自殺をする。この時の苦悶の顔のアップが凄まじい。
文藝峰という女優は、目が細くてクールで色白で平安時代風だが、同時に現代的な表情にも見える。当時は入江たか子と比較されたらしいが、高峰三枝子のような感じもあるし、今だと山口百恵だろうか(「今」ではないか)。
要するに女性の思い込みの強さから来る悲劇であり、彼女はあえてあまり表情を出さず全身で悲しみを表す。この映画とそっくりだと思ったのは、同じ文藝峰が主演する1943年の『朝鮮海峡』。この時代になるとさすがに会話もすべて日本語だが、監督は朴基采(パク・キチュ)で演じているのはすべて朝鮮の俳優たち。
36年の『迷夢』にはプロパガンダ的要素はほとんどないが、こちらは文藝峰演じる錦淑(「きんしゅく」と日本語式に読む)の恋人・成其(せいき)が、志願兵として従軍することでようやく2人の関係が両親に認められるという完全なプロパガンダ映画である。成其が戦場で負傷する場面もたっぷり出てくる。
ところがそれはあくまで外側の構造で、ドラマの根底にあるのは封建的な父親(金一海)が、息子の貧しい娘との結婚を認めないというよくある物語だ。父は息子が錦淑に生ませた赤ん坊が目の前に連れて来られるに及んで、ようやく結婚を認める。
そのうえに後半のすれ違いドラマが何度も泣かせる。成其は出征の前に、彼の妹の京子(金信哉=キム・シンジャ、もう1人の大スター)の連絡で錦淑の住所を知って会いに行く。錦淑も京子の連絡で工場から自宅に戻る。ところがギリギリですれ違って2人は会えない。錦淑は赤ちゃんを抱いて京子とタクシーを飛ばして必死で京城駅に向かう。ほんの一足違いで列車は出発する。
金藝峰がほぼ同じシーンを演じるのを『迷夢』で見た。『迷夢』だと彼女は次の駅にタクシーで追いつこうとするが、この映画では娘を抱いて泣き崩れる。錦淑は工場で倒れて入院するが、そこに日本で療養中の成其から電話がかかってくるシーンが泣かせるし、その後に彼の両親が錦淑を見舞いに来て、これまでの非礼を詫びるシーンでまた泣く。
この映画は当時の朝鮮で大ヒットしたという。プロパガンダだからではなく、究極のメロドラマだからだろう。『迷夢』から『朝鮮海峡』に至るこの強引に泣かせるメロドラマは、『タクシー運転手』のような今の韓国映画まで続いている気がする。
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