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2020年4月27日 (月)

追憶のアメリカ館

昨日、コロナ禍に対するニューヨーク市衛生局の話を書いていたら、1984~85年のパリ国際大学都市の「アメリカ館」に話が至った。昨日はその後、何度かその頃のことが蘇った。隣の部屋のフィリップ君は「アメリカ館」の学生代表のような立場にあった。

「アメリカ館」では、土曜日夜(金曜かもしれない)に毎週のように地下の食堂でダンス・パーティが開かれた。ちょうど『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)から数年後で、何となくあんな感じで踊っていた。バンドが入る時も多かった。私は住み始めた頃に入口まで行って、そのアメリカンな感じに圧倒されて戻ってきた。ある時フィリップ君と廊下で会うと、「君も来たらどうだい」と声をかけられた。

私は「考えておく」と言ったが、行くつもりはなかった。もともと夜は毎晩のようにシネマテーク・フランセーズで遅くまで映画を見ていたので、それどころではなかった。ある晩早めに帰ってくると、隣のフィリップ君の部屋から女の声がする。壁に耳を当てて聞くと、どうもお互いの関係について議論をしていた。

英語でよくわからなかったが、フィリップ君は寝たい理由を丁寧に説明していた。私はアメリカ人はすごいなあと思った。私はそんなことは酔った勢いで無言ですっと近づいて抱きしめるものだと思っていたので、言葉で説明をしている様子に驚いた。これはとても外国人は相手にできないと思った。

フィリップ君はよく私に話しかけてきた。私はそれが面倒で仕方がなかった。ある日、共同のトイレで彼の財布を見つけた。学生証が入っていたからわかったが、そこにはコンドームが2個あったのにびっくりした。いざという時のために常備しているのかと感心した。これは後で私も真似してみたが、「役に立ったぜ、フィリップ君!」などということはもちろんなかった。

大学はパリ第3大学の映画研究学科と第7大学の文学部の両方に通っていた。学費はタダなので、関心のある教授のいる両方に登録した。どちらも63番のバスに乗ると1本で行けたし、2つの大学の間は歩いて10分ほどだった。授業は10月からで、第3大学ではフランス語に問題のある私のような学生は9月に1カ月仏語の授業を受けることになった。

そのクラスに同じアメリカ館に住んでいたアメリカの黒人女性がいた。よく笑う可愛らしい女性で朝のバスで何度も一緒になったが、ある時食事に誘われた。私はシネマテークで映画を見る予定があって断ったが、あれは惜しかったなあと考えたのはずいぶん後のことだ。彼女から「明日も映画?」などとメッセージも届いていたから。

当時の私は「もてる」ことよりも、映画を見る、本を読む、授業を受けることに夢中だった。今日はここまで。

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