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2020年5月30日 (土)

追憶のアメリカ館:その(8)大学

1984年夏から1年間過ごしたアメリカ館は、私にとっては寝るために帰る場所だった。朝9時からの大学の授業に行き、夕方から映画を見たり、友人と食事をしたり。大学は前に書いた通り、パリ第三大学と第七大学の2つに登録して学生証を2つ持っていた。

この留学は「サンケイスカラーシップ」という奨学金制度から往復航空券や学費、滞在費をもらっていた。当時、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの「先進国」4カ国に2、3人ずつ派遣していた。フランスやドイツの大学は「学費」が無料でフランスの場合は5千円ほどの登録料のみ。だから2つ登録してもOKだった。

第三大学はDepartment des etudes et recherches cinematoguraphiques et audiovisuels=映画・視聴覚学術研究学部という長い名前の学部の第3学年に登録した。奨学金を得るにあたって、多くの志望者がフランス文学を研究するというのに、映画を学びに行くというのがウケたのではと思う。

取った授業で覚えているのは、ミシェル・マリ教授の「映画分析」、ロジェ・オダン教授の「映画記号学」、アラン・ベルガラ講師の「映画批評実習」など。当時はビデオがなかったから、マリ教授は16㎜フィルムをよく授業でかけて分析をしていた。今は自分が映画分析を教えながら、マリ教授の一コマのショットを細かく分析する姿を思い出す。

ある時そこでMagazine litteraireという文字通り「文芸雑誌」で「日本映画特集」をもっている女の子に話しかけられた。マリーと名乗る彼女は日本映画にくわしく、この特集は甘いと主張したのでびっくりした。それからカフェで話し込んだが、彼女については長くなるので後日。

第三大学から歩いて15分ほどのセーヌ河畔や植物園に近いところに第七大学があった。ここは鉄骨のビルがいくつも並ぶ理系が中心の大学で、今思うと1年だけ教えた早大の理工学部に雰囲気が近い。そこで私が登録したのはDepartment de la science du texte et du document=テキスト文献科学部というこれまた長い訳の分からない名前の学部だった。

学部長はジュリア・クリステーヴァ教授で、当時既に日本でも『言語、この未知なるもの』などが出版されて記号学者として有名だった。彼女の授業はすべて聞いたが、全く記憶にない。この学部は実は普通の文学部のような授業が多く、むしろ馴染めた。そこで第七大学を中心に単位を取ることにし、第三大学の授業は単位交換できるものにした。

第3学年だから外国語やラテン語もあった。私は英語を取ったが、英語をフランス語に訳するのに苦労したのでお願いして下級クラスに移った。すると英語を初めて学ぶアフリカ系やアラブ系ばかりで、英語を中学生から学んでいた私は一挙にクラスの英雄となった。

第七大学時代の友人のうち数名は今でも連絡を取っている。フランス人のセルジュ、イギリス人のアドリアン、韓国人のイム、ドイツ人のシュザンヌなどは2016年に再会した。今日はここまで。

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