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2020年5月17日 (日)

追憶のアメリカ館:その(6)

先日、友人から「追憶のアメリカ館:その(4)」で書いた「北海道のMさん」はどうなったのかと質問が来た。そこで、アメリカ館の生活の前に少し戻りたい。Mさんは8つ上のきれいな方だった。

50歳を過ぎたら8つ上も下も同じだが、大学4年生にとって8つ上の女性はまさに天女のように輝いて見えた。一緒に撮った写真が何枚かあるが、私が本当に好きだったのがよくわかる。パ・ド・カレー県の1週間が終わり、私はアメリカ館に住み始めた。「合宿」をした私以外の日本人はパリで2、3日ホテルに泊まって帰っていった。

私はMさんを含めた数名と観光に行った。Mさんは絵を描いていてバルビゾンに行きたいと言うので、郊外のフォンテーヌブロー駅に行ってみんなで自転車を借りた。これがなかなか遠かったが、ミレー記念館とかフォンテーヌブロー城に行った。途中で食べた中華がおいしかった記憶がある。

それから30年ほどたって、フォンテーヌブロー城に行った。そこの収蔵作品を日本に貸し出したいという話を聞いたから。館長に案内してもらいながら、何とも懐かしかった。館長が代わり私も異動になってその展覧会は実現しなかったが。

なぜか、ランスにも行った。これは誰かが「ランスの大聖堂とフジタ・チャペルを見たい」と言ったから。急行で1時間ほどでランスに着き、シャンパンの試飲もした。日帰りでパリに戻り、オペラ座近くの日本料理店「ふじた」にみんなで行った。この料理店は今もある。

いよいよ翌朝Mさんが帰る晩で、彼女は私に「ホテルに寄って少し話す?」と声をかけてくれた。近くの2つ星のホテルで、受付に睨まれたので私は小銭を渡した。そこで一泊をして、Mさんは帰っていった。私は髭ぼうぼうで空港に見送りに行ったので、同じ便に乗る日本人にバレてしまった。

Mさんとは、その後2度会った。1度は86年春に東京に出てきた私に会いに、ゴールデンウイークにやってきた。練馬の武蔵関の独房のようなアパートに彼女は泊まった。あまりの狭さに呆れてか「東京で暮らすのは大変だね」と言われた記憶がある。それから5年くらいたって、出張で北海道に行った時に半日観光につきあってもらった。

今はお互いに結婚して年賀状のやり取りのみ。その時に彼女と一緒に北海道から来たTさんは、今はフランス人と結婚して南仏に住んでおり、4年前に会いに行った。私はMさんともう一度会いたいが、どうも先方はその気はなさそうだ。まさかこのブログを読んだりしないだろうか。

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