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2020年5月23日 (土)

「楽しいことなら何でもやりたい」

前に書いたように『美術展の不都合な真実』という新書を出した。アマゾンではそこにレビューを書くことができる。今朝の時点で4つ書かれていて、みなさん4点とか5点とか高い評価を与えてくれている。そのうち5点をつけた「カワシマ」という人の書いた文章が妙に気になった。

前半は以下の通り。

「国際交流基金と朝日新聞で事業企画を担当した経験を生かしているだけではない。西洋画も日本画も、現代美術も仏像などの伝統美術も、面白そうな展示は手当たり次第に見に行き、美術を仕事としなくなってもずっと続けているのがすごい。本業の映画はもっと数を見ているはずで、「楽しいことならなんでもやりたい 笑える場所ならどこへでも行く」(井上陽水)という感じだ」

書いた本人からメールが来てわかったが、大学時代の同級生だった。そこで陽水の言葉がおかしかったとメールの返事を書いたら、私は大学生の時に彼にこの歌の話をしたことがあったという。

大学生の時に2人で話していて、古賀はなぜそんなに(過度に)活動的なのかという疑問に対し、「病気で休学した反動で、陽水の「楽しいことならなんでもやりたい」という歌詞のような気持ちがある」という答えだった。覚えていると思ったけどなあ」

確かに井上陽水は中学生の時から好きだった。「傘がない」「心もよう」「夢の中へ」などはよく歌っていた。しかし「楽しいことならなんでもやりたい」で始まる「青空ひとりきり」は歌詞もよく覚えていないくらい。

何度かここに書いたように、高校2年生の後半から入院生活を送り、卒業後も入学した大学を1年間休学して病院や自宅にいた。そんな時、早く大学に行って映画や演劇を見たり、展覧会に行きたいとよく考えていた。しかしその反動で、大学生の時から「過度に」なんでも見て回る習慣が身についたとは考えもしなかった。

少なくとも大学時代の同級生には、この本を読んで私が学生時代の旺盛な活動ぶりを今も続けているように見えたようだ。まさか40年近くも同じ調子で「過度に」せわしなく動いていたのだろうか。私なりに生活も趣味も考え方も変わったと思ったが、相変わらずの「手当たり次第に見に行き」なのだろうか。

歌詞を読み直してみたら、「青空ひとりきり」は寂しい青年の叫びのような歌だった。コロナ禍の蟄居の今、一度大声で歌ってみたい。歌は昔からヘタだけど。朝早く公園に行こうか。

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