「楽しいことならなんでもやりたい」:続き
先日のブログに別の友人から反応があった。大学院で同級生だった石坂健治くんで、彼は今や(私がいつも批判する)東京国際映画祭のアジア部門のトップで、かつ日本映画大学映画学部長の要職にある。そんな彼がメールで、陽水と私に近いものを感じていたという。
「実は「古賀=陽水」説は私も感じていたのですよ。 もっとも私の観点は貴兄のよく通るテノールの美声。あれは陽水が入ってますぞ。福岡の声ですか? 陽水的に言うと「雀荘の雑踏で遠くのカウンターに向かって『ラーメン出前お願い』と注文する声が自分だけちゃんと届く」そうです」
彼は「実は50年近い陽水フリークで、いまも関東圏のライブはほぼ行ってます」と、陽水が育った福岡県田川にある「夏まつり」の歌碑の前で写った写真まで送ってきた。そんなに陽水に詳しい彼に似ていると言われるのは光栄と言うべきか。
私の「テノールの美声」に関しては、長い間自分では気づかなかった。ある時何かインタビューの録音を聞いて、自分の声が突然高く跳ね上がるのがわかって、気持ちが悪かった。どうも興奮すると何かが乗り移ったように、高音になる。恥ずかしいが、直らない。
確かに声は通る。雀荘には行かないが、どこのお店でも注文の声はまず聞いてもらえる自信がある。それは声質のせいというより、せっかちなので音量が大きいだけだと思っていた。
陽水も私も福岡県の出身だが、だからみんなが高音というわけではない。あえて陽水との共通点を探すとすれば、炭鉱町に育ったということだろう。あちらは筑豊炭鉱で私は三池炭鉱。彼の父親は医者だと思っていたが、ウィキペディアを見るとかつて父は炭鉱で働き、その後歯科医になったようだ。
私の父は、前に書いたように石炭を入れる紙袋や布袋を作る工場を経営していた。そして私が小学校2年か3年の時に炭鉱不況で倒産した。陽水は私よりも13歳上なので、炭鉱の没落を見たのは20歳を超してからのはず。いずれにしても炭塵爆発などの事故は頻発していたので、炭鉱の暗い影はあったか。
まあ、だからと言って高い声を発するというのは論理の飛躍がある。とにかくあちらは天才である。ただし陽水の歌の素っ頓狂な明るさと根深い暗さ、バカバカしいほどの明快さと意味が通らない難解さの混濁具合には、何か近いものを感じる。
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