« 『Motherマザー』の描く母親像 | トップページ | コロナ禍で何が変わったか:その(23)新しい生活様式 »

2020年6月22日 (月)

「ドローイングの可能性」展を見る

また、東京都現代美術館に行った。先日、オラファー・エリアソン展を見た時にほかに2本の展覧会があったが、疲れたので改めて行こうと思った。ところがフェイスブックで流れてきた情報で、そのうちの「ドローイングの可能性」が21日で終わることを知って、慌てて足を運んだ。

普通は「ドローイング」は、本作品の油絵や彫刻の前に描く「試作」と思われがちだ。ところがこの展覧会を見ると、そんなイメージは吹き飛んでしまう。最初の石川九楊の書の部屋だけで、その迷路のような世界に迷い込んでしまう。墨と筆で書かれているので一応「書」だが、それはもはや宇宙だ。題名には《9.11事件以降》などと書かれているが。一度、石川九楊の作品をまとめて見たい。

そこから突然マティスの「ジャズ」の色彩豊かな世界が広がる。赤や青の切り絵に大きな手書きの文字。絵画というものを崩壊させた先にある、おしゃべりのような楽しい表現に、なぜか「人生」を感じてしまう。

戸谷成雄は80年代から90年代にかけて木にチェンソーで自由に切りつけたような彫刻で知られているが、今回の展示は四方の壁に無数の木を張り付け、床に大きな切り株を置いた空間を作っている。別の作品は壁に貼られた無数の金属。ドローイングとは壁面に傷を付けてゆく行為と考えたら、こうしたインスタレーションも含まれるのか。

次にあった盛圭太という作家はたぶん初めて見るが、白い壁に黒や青の糸を張り付けて独自の空間を作っている。これまた壁への引っかきが世界を変えるということだろう。

その次にあった山部泰司の作品は一見普通のドローイングだが、濃い青や赤のインクはどこか古典的で、レオナルド・ダ・ヴィンチなどを思わせる。みっしりと描かれた森に洪水が迫るような絵も黙示録的で、強い宗教性が漂う。

そのほか磯部行久や草間彌生らベテランのドローイングもあった。磯部の壮大な環境計画の構想も、草間の偏執狂的な繰り返しも、ドローイング=引っかきとは。コロナ禍でわずか20日の展覧会だったが、学芸員の企画力というか、目の確かさ、思考の力を感じさせた。

|

« 『Motherマザー』の描く母親像 | トップページ | コロナ禍で何が変わったか:その(23)新しい生活様式 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『Motherマザー』の描く母親像 | トップページ | コロナ禍で何が変わったか:その(23)新しい生活様式 »