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2020年6月25日 (木)

追憶のアメリカ館:その(12)マリーさんについてもう少し

1987年1月末に高田馬場の私のオンボロアパートにやってきたマリーさんについてもう少し書く。なぜ彼女と3カ月で別れたのか。今思うと、一番の理由は私に金がなかったことではないか。パリでどんどん本を買う私を見て、彼女は金持ちだと思ったのかもしれない。

東京では大学院に通い始めた貧乏学生でしかない。奨学金をもらい、週に2度塾で教えてさらに親からお金を送ってもらっていた。ふだんは昼間は学食でなければ牛丼や立ち食いそばを掻きこみ、夜はご飯を炊いて野菜炒めなどを作っていた。映画を見て本は買うが、食事にも服にも住まいにもお金をかけなかった。

さらに大事な点は、その後何年も同じような暮らしを続けそうだということだった。マリーさんは学生の時からバイトをして親からの援助なしで妹さんと暮らしていた。服を買ったり、外食をする楽しみも知っていた。そんな彼女には、私は全く将来の見込みがないように見えたのではないか。

来日して1週間ほどすると、彼女は仕事を探し始めた。フランス語の個人レッスンをしたり、日本語はろくろくできないのにフランス料理店に端から電話をしてバイトを見つけたり、どこで見つけたのか美術学校のヌードモデルをしたり。その旺盛な生活力に私は正直驚いていた。

結局、2か月ほどすると、夜のバイトを始めた。外国人ホステスを揃えたバーのようで、私は不安だったが何も言えなかった。とにかく時給が格段にいいとのことだった。毎日夕方に化粧をして出てゆく彼女を見送るのは複雑だった。

そのあたりで急に私の就職が決まった。彼女は私にまともなスーツやシャツを買うべきだと言い張り、小田急百貨店で彼女の見立てでスーツを3着買った。同時にシャツやネクタイもいくつか買った。そのうちのネクタイの1本は今もある。

いざ毎日働き始めると、おもしろくなって彼女のことはあまり気にかけなくなった。職場には職員向けの借り上げ住宅があり、私は千葉の行徳にあった約40平米のマンションを1万円ほどで借りることにした。そこならば2人である程度のまともな暮らしができそうだったが、彼女はついて来なかった。

バーの仕事を続けるなら、高田馬場のアパートよりましな場所が借りられるということで、彼女も引っ越した。双方の引っ越しはゴールデンウイーク中で、5月の爽やかな風が吹いて気持ちがよかったのを覚えている。マリーさんはそれから1年ほどたって体調を壊して帰国した。私は成田まで見送りに行った。なぜかアエロフロート機だった。

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