追憶のアメリカ館:その(10)淡い出会い
その(8)でマリーさんという女子学生と出会ったことを書いたが、友人から「その後」を書けという依頼が来た。実はその年は何もなかった。1度カフェで日本映画について話し込み、その後は大学で2、3度挨拶を交わしただけ。
映画学術研究学部があったパリ第三大学には、外国語学部もあった。マリーさんはそこでイタリア語を学んだが、次第に映画の授業も取るようになったという。実は私がイタリア語を学び始めたのは彼女の影響だが、それは少し後の話となる。彼女とは同じ授業を取っていなかったのでそのままになり、翌年偶然に再会した。
今思うと、彼女も含めて出会った女性はほんとうに「淡い出会い」という感じばかり。ドイツからパリ第七大学に来ていたシュザンヌは、フロベールの小説が好きな女の子だったが、痩せて髪が短く少年のようだった。最初どのように知り合ったか全く記憶にないが、いくつか同じ授業を取っていたはず。
何度か横に座り、話すようになった。仲良くなったのは、演劇の授業の実習で同じチームになったから。その授業はいくつかの短い戯曲を読んでその演出について考えるもので、最後は数人ずつのチームに分かれて戯曲を選んで実際に演じた。私はサミュエル・ベケットのある短編を選んだが、集まったのは外国人ばかり。
情けないことに短編の題名さえ思い浮かばないが、同世代のドイツ人のシュザンヌと韓国人のリムと私に、ギリシャ人の10歳くらい上の女性が加わった。わざわざ土日に集まって練習したから、よほど熱心だったのだろう。最終的にそのチームは20点満点の18点という高得点をもらった。
シュザンヌとリムを含めた5、6人のグループがだんだんとできて、みんなで食事会をしたり、一緒に映画に行ったりした。6月の私の誕生日は土曜か日曜だったが、午前中にアメリカ館の自室で1人でくつろいでいたら彼らが突然シャンパンを持ってやって来て、お祝いをしてくれたこともあった。
その中でシュザンヌと私だけが85年の7月末には自分の国に帰ることになっていた。7月になると授業もなく、お互いに寂しくなったのか、何度か会った。彼女がドイツに帰る前の日に一緒にゴダールの『軽蔑』を見た。そして食事をしてそのまま彼女のアパートに泊まった。それだけである。彼女が翌朝来ていた服は、今でも鮮明に覚えている。
もう1人「淡い出会い」の女性Sさんがいた。ただしこちらは日本人なので、書くべきかどうか。とりあえず今日はここまで。
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