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2020年6月 2日 (火)

本を書いて考えたこと:その(2)

今日は新潮新書から最近出た『美術展の不都合な真実』をどのようなペースで書いたかを、メールの記録を見ながら振り返ってみたい。「はじめに」を書いたのは編集者と会って2週間後の2018年11月だったが、第1章を送ったのは2019年1月。それから1章か2章分を書いては送り、意見をもらいながら連休明けには全7章まで書き終えた。

思ったより早いペースだったので、19年の秋くらいには出るかと思っていた。ところが担当編集者のKさんは佳境に入った別の新書があるらしく、なかなか進めてくれない。ようやく夏の終わり頃にすべての原稿に赤が入って戻ってきた。そしてあちこちに「ここにこういう話題はどうか」と書かれていた。

10月初めまでに全面的に書き直し、もう1章を加えた。Kさんはそれを行変えをしたり、小見出しを増やしたり、繰り返しの内容を削ってきた。それを私が手直しして出したのが11月初め。それは新書編集長の手に渡り、すぐにOKが出た。さてそれからようやく出版の予定を組むと、新潮新書は月に4冊なので3月か5月とのこと。

最終的に5月に決まり、少し古くなった内容を変えた。具体的には、最新の情報として書いている2018年秋の展覧会の内容を2019年のものに変えたり、冒頭の2018年3月のArtNewspaperの記事の引用を2019年のものに差し替えたり。

それから久しぶりにKさんと会って、写真の打ち合わせをした。自分がカメラやアイフォンで撮った写真を探すのは楽しかった。ルーヴル美術館の《モナ・リザ》前の混雑した展示室や2018年秋のフェルメール展の外の光景や「塩田千春展」の展示風景など、深く考えずに撮った写真が本に使われるのは嬉しかった。

Kさんは2018年秋に初めて会った時から同じ新潮社が出している『芸術新潮』で関係がありそうな特集があるとその号を送ってくれたし、フェルメール展を企画した秦新二氏が書いた『フェルメール 最後の真実』などの本も送ってきた。

結果としては彼女にうまく操られながら書かされた感じで、こんな経験は初めてだった。もともと美術展の本を書く気など全くなかったのに、1年半くらいで新書が出るのだから、Kさんは編集者というよりプロデューサーである。

本の仮題はずっと『ルーヴル美術館展はもういらない』だった。自分もルーヴル美術館展に実際に関わったのでこれはいくら何でもと思ったが、最終的に『美術展の不都合な真実』に決まったのは3月に初稿が出てから新潮社で2度の「タイトル会議」があってから。もちろん私はこの会議には参加できない。オビの言葉を選ぶ「オビ会議」も2回らしい。

それらの会議には、新潮社の営業担当や役員も含めてのべ20名以上が初校を読んで参加するという。そんなこんなで私の書きなぐりの原稿は、いつの間にか会社の商品となった。かつて自分は展覧会をプロデュースする側だったが、見事に逆転されてしまった気分。

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