追憶のアメリカ館:その(9)
1894年夏から1年間のパリ滞在中にどの映画を見たかはわかる。留学日記があり、別に映画カードがあるから。映画カードというのは、大学3年生くらいから働き始めて数年まで7、8年間書いていた映画についてのメモのこと。
20㎝×30㎝くらいのカードの裏表に、1作品につき1枚書いた。そしてそれを監督ごとにABC順に並べてバインダーに閉じていた。書かれているのは印象だけで、あらすじもロクにない。「ルイズ・ブルックスの手足の動きを見ているだけで頭がくらくらした」というたぐいだが、なかなかおかしい。
映画カードはその後、原稿を書くのに何度か役にたった。例えば『ジャンル別映画100本』のような本で「ドキュメンタリー」100本を選ぶ時には、そのおかげでヨリス・イヴェンスの『バルパライソ』のような日本で公開されていない映画を何本か選ぶことができたはず。今でもバインダーで3つか4つのそのカードは本棚の奥底に眠っているはずだが、もう10年以上見ていない。
留学日記の方は、毎日書いた記憶があるが、どこにもない。捨てたはずはないのでどこからか出てくるだろう。ここまで書いてまた本棚を探したら、「パリ映画日記」の後半部分が出てきた。この1年間はカード式ではなく、大学ノートに1頁に2本づつ、見た映画の感想を書いていた。バインダー式はあくまで日本にいた時か、働き始めて海外に出張や旅行で行った時のもののようだ。
「パリ映画日記」の後半は1985年6月3日に始まる。ヘクトール・バベンコ監督の『ピショット』(80)とジョン・カサヴェテス監督の『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(76)を見ている。次の日はゴダールの『中国女』(67)と『小さな兵隊』(60)。
フランスで最後に見たのは7月24日のロバート・アルドリッチ監督『何がジェーンに起こったか?』(62)で「渡仏後502本で終わり」というメモが書かれている。もっぱら古い映画ばかりを追いかけていたようだ。1年間に500本も見たことはその後ない。
まだビデオがない時代だった。帰国して半年後に早稲田の大学院に行った時、大学のそばに貸しビデオ屋があって、フランソワ・トリュフォーの映画のVHSが10本ほど並んでいたのを見て、愕然とした覚えがある。わざわざフランスくんだりまで行ってトリュフォーはほとんど見たのに、その必要はなかったのかと。
「映画を見るためにパリに行く」という世代があったのか知らないが、当時パリで知り合った日本人留学生の何人かはそんな感じだった。私はその世代の最後だったのかもしれない。
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