本を書いて考えたこと:その(4)
『美術展の不都合な真実』が出た直後に、かつての職場の後輩からメールが来た。「古賀さんが書いているような、主催するマスコミが大宣伝して押し込む「押せな押せな」の展覧会は、これからはもうやりたくてもできないんですよ」という内容だった。
私は一瞬、「しまった」と思った。初稿が出たのが3月後半で、再校戻しは4月半ばだったから、十分にコロナ禍のことを考える余裕があったはずだが、この本には全く触れていない。唯一、後書きの最後に「コロナ禍でほとんどの美術展が閉じた4月に」と書いただけだった。
私は自分が書いた内容は、コロナ禍で全く意味がなくなったのかと落胆した。ところが1週間ほどたって著者インタビューが始まると、それはだんだん自信に代わっていった。ウエッブ版『美術手帖』、『サンデー毎日』、『アサヒ芸能』、『ZAITEN』、『週刊実話』など。会いに来てくれたり、Zoomだったり、メールインタビューもあった。
一番最初に会いに来たのが『美術手帖』で、そのインタビューの冒頭には、こう書かれている。
「新型コロナウイルスによって数ヶ月もの長い臨時休館を強いられてきた美術館が、6月に入り次々と再開した。多くの美術ファンにとって喜ばしいニュースだが、美術館は事前予約制など、これまでにない対応を迫られている。このコロナ禍を機に美術館のあり方を見直すべきだという声は、美術関係者からも聞かれる。そんななか、メディア共催展(マスコミが主催に入る展覧会)をはじめとする美術館展覧会の隠れた部分を顕にした書籍『美術展の不都合な真実』(新潮新書)が刊行された。」
つまり、この本はちょうどいいタイミングに出たという話から始まった。そこで私は調子に乗って、こう言った。
「だからこれはチャンスだと思いますよ。これまでの歪んだ構造を正す機会なのです。「3密」を避けるためにも、もはや1日平均で3000人〜4000人、あるいは週末に1万人も動員するような展覧会はできない。」
「これまでは収益を高めたいメディアと、全国につくってしまった建物(ハコ)を維持したい美術館や行政が、疑問を持ちながらも互いにもたれかかってきた。でもこのコロナをきっかけに、行政も含めて認識を変えなければいけない。私はそう思います。この本を書いた時点では正直無理かなと思っていましたが、コロナ時代のいまは、それができる千載一遇のチャンスが訪れたと考えています。」
こうなると言いたい放題で、その後のインタビューでも必ずコロナ禍のことが話題になったので、同じような回答を続けた。そうやって話しているうちに、まるで自分が予言者のような気分になるから不思議なものだ。それでも2週間ほど同じことを5、6回話した今は、「調子に乗ってしまった」とまた後悔を始めている。
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