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2020年6月30日 (火)

『凱里ブルース』に慄く

私の大学の大学院生は中国人が多いが、1930年代の日本映画をめぐる授業で清水宏監督の『有りがたうさん』(1936)について論じた。ユーチューブにかなりきれいな画像があるので、事前に見ておくことが前提でのオンライン授業。そこである中国人学生が「『凱里ブルース』みたいですね」と言った。

『凱里ブルース』(2015)は中国のビー・ガン監督の長編第1作だが、幸いにして私はこの監督の第2作の『ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ』(18)を既に見ていた。それで先生の面目は保てたが、ぜひ『凱里ブルース』を見たいと思っていた。

劇場で見てみると、作りは『ロングデイズ・ジャーニー』に似ていた。ある男が故郷の街に帰ってくると、すべてが変わっていた。そこから男は別の場所に行くという話。しかしこちらの方がだいぶわかりやすい。男をめぐって、ところどころで謎が解けてゆく。

チェンは凱里市で暮らしている。そこはすべてが古めかしく、新品はどこにもない。彼は老いた女医の手伝いをしているが、彼女のかつての恋人の話を聞いて彼が住むという鎮遠(ジュンエン)に思い出の品を届けに行く。チェンになついていた甥のウェイウェイを取り戻しに行くという目的もあった。

チェンは凱里の街を放浪する。ウェイウェイの父である弟に会う。そのあたりからチェンが長く刑務所にいたこと、出所する1年前にチェンの妻は亡くなったこと、共犯の友人の罪を被って一人で刑務所に行ったことなどが少しずつわかってゆく。

鐘遠に行こうと、バイクに乗せてもらう。そのあたりから40分に及びワンカットが生まれる。たどりついたダンマイの街では若い理髪師の女性に髪を洗ってもらったり、彼女が女友達と行くコンサートに行って、飛び込みで歌ったり。カメラはときおりチェンを離れて別の人物を追いかけるが、迷路の中でいつの間にかチェンを捉えている。

バイク、車、列車、川を渡る小舟、川にかかる長い橋と移動が続き、偶然の出会いが情感を作り上げる。そして水との親和性。このあたりが清水宏監督の『有りがたうさん』に近い浮遊性を形成しているのだと思う。そこにチェンの声で詩の朗読がかぶさる。しばしば遠くの人の顔が写る鏡、時計、扇風機、風船、手製のかざぐるま、ミャオ族の歌といった存在が混じり合い、夢かうつつかわからない境地に達してゆく。

コメントにはタルコフスキー、ホウ・シャオシェン、アピチャッポンといった名前が並んでいるが、確かにそうした天才監督たちに届きそうなほとばしる才能に慄いた。

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