オンライン授業でわかったこと:その(7)オンライン試験
私の場合、昨日で前期の授業が終わった。連休明けからオンライン授業を始めて3カ月近く、何とか切り抜けた。大人数の講義授業では「オンライン試験」もやってみたが、どうにかうまくいった。
私の場合、昨日で前期の授業が終わった。連休明けからオンライン授業を始めて3カ月近く、何とか切り抜けた。大人数の講義授業では「オンライン試験」もやってみたが、どうにかうまくいった。
映画『パブリック 公共図書館の奇跡』はBLM運動を予言していると言われて見たらだいぶ違ったが、「黒人問題」の根深さを強く感じたのは数日後に見たドキュメンタリー『誰がハマーショルドを殺したか』だった。これはデンマークのジャーナリスト、マッツ・ブリューガーの監督によるものだが、まず出てくる本人がちょっと怪しい。
私は髪を切るのに、歩いて3分の「床屋さん」に行く月に一度。そこでは70歳ほどのご主人に「いつもの通りお願いします」だけ言って、あとは一言も話さずに切ってもらう。ところがある日行ったら、「古賀さん、大学教授だったんですね」と言われた。
エミリオ・エステベス監督の『パブリック 図書館の奇跡』を劇場で見た。興味深い題材だったが、最近見た新作では一番期待外れだった。新聞各紙の映画評ではかなり高い評価だったのに。それでも考えさせられることの多い内容だったのは間違いない。
須賀敦子に『ヴェネツィアの宿』という短編集があった。たしかこの題名の短編が冒頭にあって、学会でフェニーチェ歌劇場近くのホテルに泊まった話だった。ベネチアの宿というのは、普通のヨーロッパの「ホテル」とはちょっと違う感じがする。
12月の学生主催の映画祭のために、佐藤純彌監督の日中合作映画『未完の対局』(1982)を学生たちと見た。実を言うと、この映画はこれまで見たことがなかった。私が大学生の時に大宣伝で公開されたが、当時はこの種の「大作」が大嫌いだった。
サントリー美術館がリニューアルオープンして、所蔵作品展をやっているというので、大学の帰りに見に行った。実を言うと、もっと違うしつらえになったのかと期待していたが、見た目にはこれまでとそれほど違わなかった。
欧米ほどではないが、日本にも「ベジタリアン」がいる。そういうレストランもあって、なぜか私は前から苦手だった。最近は「ビーガン」という卵や乳製品も食べない人もいるらしい。私も野菜は好きだが、肉も魚も好きなので、そういう人がよくわからなかった。
毎年12月に私の学生が企画する映画祭のテーマが「中国と日本」に決まった。正式な映画祭名はまだだが、要するに中国と日本の関係をめぐる映画を選ぶことになった。コロナ禍で大学は今もオンライン授業だが、特別に許可をもらって試写をすることになった。
前に書いたように、私は4年前にフランスで半年過ごした際に、在パリの日本大使館からのメールによるニュースレターに登録した。今でも解約していないのは時々興味深い話が届くから。最近来たニュースで驚いたのは、この20日(月)から「閉鎖公共空間」でマスク着用が義務化されたというもの。
古厩智之監督の『のぼる小寺さん』を劇場で見た。最初新聞評などでこの題名を見た時、「なんだそれは」と思った。同名の漫画があるというが、もちろん読んだことはない。しかし映画自体も、この題名と同じくらいぶっ飛んでいた。
せこい話だが、ポイント集めが好きだ。前に「丸正」江戸川橋店が閉店する直前にいきなり18,000円強のポイントがついて、「ポトラッチ現象」のように慌ててシャンパンなどを買った話はここに書いた。
公開直前に試写で見たフランソワ・オゾン監督の『グレイス・オブ・ゴッド 告発の時』について語りたい。オゾン監督は人間の感情のあらゆる問題を毎回違うスタイルで巧みに映画にする。今回は何と、聖職者の少年に対する性的虐待の問題に正面から迫った社会派の作品だ。
加賀乙彦『荒野を旅する者たち』(1971)について、気になった部分をメモしておく。何といっても自分が1984年9月から1年過ごしたパリのアメリカ館の部分が一番気になった。
昔、昭和の時代に、会社員が帰る家を間違えるというギャグがあった。同じような建売住宅がずらりと並んでいて間違えたり、団地で隣の家に行ったり。「サザエさん」とかドリフターズでもあったような気がする。
また国立映画アーカイブの「松竹映画の100年」を見に行った。渋谷実監督の『てんやわんや』(1950)を見たが、もともとその日はほぼ同じ時間に10月16日公開の黒沢清監督『スパイの妻』の試写を見ようと思っていた。
久しぶりに東京国立博物館に行った。ふと時間が空いたので「きもの」展を見ようと思った。事前予約制というのは知っていたが、昼食を食べている時に思いついてネットを見たら15:30以降だと空きがあった。そこで予約を入れてみた。
最近の韓国映画は泣かせるものが多いが、『マルモイ ことばあつめ』を劇場で見て泣いてしまった。監督・脚本のオム・ユナは『タクシー運転手』の脚本家で、最初の監督作品という。確かに『タクシー運転手』に似た、てんこ盛りでちょっと強引な泣かせ方かもしれない。
コロナ禍のテレワークでベランダ菜園が流行しているという記事を読んだ。私の場合はコロナ禍と関係ないが、久しぶりに出かけた映画館でドキュメンタリー『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』 を見たら、来場者プレゼントで「サカタのタネ」からベランダセットをもらった。
1971年に出た加賀乙彦の小説『荒野を旅する者たち』を読んだ。「新鋭書き下ろし作品」と銘打たれて新潮社から出た箱入りで、当時の値段は950円。私はアマゾンのマーケットプレイスで送料込みで約700円で買ったが読んでいないのか中身は新品同様だった。
ときおり、無性にフランス映画やイタリア映画を見たくなる。特に疲れた時や嫌なことがあった時は、フランス語やイタリア語を聞くとなんとなく気分がよくなるから、長年の習性とは恐ろしい。そんなわけで2コマのオンライン授業の後に『アンティークの祝祭』を見に行った。
国立映画アーカイブに行った帰りに、アーティゾン美術館に行った。やはり都心にある美術館は便利。そのうえ、前日までの予約が必要な国立映画アーカイブと違って空きがあれば当日でも予約できるため、映画を見る直前にふと近いと気がついて予約した。
国立映画アーカイブが再開し「松竹第一主義 松竹映画の100年」という特集が始まったと聞くと、とにかく一度行きたくなった。島津保次郎監督の『婚約三羽烏』(1937)を見た。すべて日時座席指定で当日券なし、前日までチケットぴあで販売とのことで、前日に買った。
最初は不安で仕方がなかったオンライン授業も、2カ月が過ぎた。先生同士はめったに会わないのでほかの先生がどんな授業をやっているか実はわからないが、少なくとも自分のやり方はある程度定着してきた。
岡田温司著『イタリア芸術のプリズム』について思いつくことがあったので、もう一度書く。この本はパゾリーニやアントニオーニやフェリーニやベルトルッチなどのイタリアの監督の映画が、どれだけイタリアの絵画を中心として文学、哲学、宗教に影響を受けたかを書いたもの。なかでも私にはパゾリーニについての文章がおもしろかった。
阪本順治監督の『一度も撃ってません』を劇場で見たが、いやあ、おもしろかった。最初から最後までクスクス笑いながら見た。もともとはGW前に公開のはずだったがコロナ禍で延期になり、2か月以上遅れてようやく映画館にやってきた。
たぶん今世紀になってからだが、一戸建ての壁がずいぶん安っぽくなった。プラスチックのような新素材に木目やレンガの模様があるが、どう見ても本物には見えない。触ってみると、やはりセメントや土の素材感もない。
浪曲全盛期の典型的な浪曲映画、『母の瞳』(安田公義監督、1953年)について忘れないうちに触れておきたい。これは当時人気絶頂の浪曲師、伊丹秀子が語りを務めてヒットした同名のNHKラジオ番組をもとに作られた映画だから、まさに便乗企画と言えるだろう。
国立新美術館で始まった「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」展を見た。日本美術の古典に現代美術を並べるというまさに「企画展」だが、正直なところ見ていて落ち着かなかった。私は日本美術は古典も現代も好きだが、今回のそれぞれの選択、組み合わせ方、意味、効果などにいろいろ疑問が湧いてきた。
今回のNHK出演で一番喜んだのは4人の姉たちだった。グループラインで知らせると、みんな楽しみに朝7時から待ち構えたようだ。終わると、「おちついてよかった」とか「おしゃれだった」とか。要するに、弟がテレビに出てすごいすごいという話。
下川正晴氏の『ポン・ジュノ 韓国映画の怪物(グエムル)』を読んだ。下川氏の本は昨年『日本統治下の朝鮮シネマ群像』についてここに書いたが、元毎日新聞ソウル支局長の韓国通である。彼とは1年半前の学生主催の映画祭「朝鮮半島と私たち」の時に初めて会った。
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