« 本を書いて考えたこと:その(7)NHK続き | トップページ | 映画から浪曲へ:その(2) »

2020年7月 3日 (金)

「古典×現代2020」展に考える

国立新美術館で始まった「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」展を見た。日本美術の古典に現代美術を並べるというまさに「企画展」だが、正直なところ見ていて落ち着かなかった。私は日本美術は古典も現代も好きだが、今回のそれぞれの選択、組み合わせ方、意味、効果などにいろいろ疑問が湧いてきた。

「古典」の方は、「蕭白」「乾山」「円空」「仙厓」「北斎」と個人名と同時に、なぜか「仏像」「刀剣」「花鳥画」とジャンルが並んでいる。どうして「仏像」ではなく「運慶」でないのか、「花鳥画」でなく「若冲」でないのか。

「現代」の方は、これまたとても1人が選んだとは思えない、なんでもありだ。川内倫子、鴻池朋子、棚田康志のような「現代作家」が中心だが、菅木志雄のような一昔前の巨匠もいる。それに建築家の田根剛、ファッションデザイナーの皆川明、なんでもありの横尾忠則にしりあがり寿と来る。日本の「現代アート」はかくも多様ですよ、という感じか。

そして8組ずつが同じ部屋で「対決」する。それがまた「なぜ」という感じがした。曽我蕭白はおもしろいし、横尾忠則もすごいのだが、その組み合わせにさほど意味があるとは思えない。そのうえ、私が行った時は横尾忠則の中心となる作品《寒山拾得2020》に対応するはずの蕭白の《寒山拾得図屏風》も展示期間が違ってなかったから、なおさら。

ほかの組み合わせもそんな感じで、無理に組み合わせるより、1人を2倍見たいと思った。一番うまくいっていたのは、仏像×田根剛でこれは建築家の田根が自分の造形をなくして、滋賀・西明寺の日光・月光の菩薩立像を際立たせるための「演出」をしていた。真っ暗な空間に5、6個のLEDライトがそれぞれに上から下に移動しながら光の量を変える。その光で黄金の仏像がきらめき、声明がかぶさる。

中に5分もいるとまるでそのまま成仏しそうなくらい、ちょっと怖い空間だった。そのほかは、尾形乾山の陶芸の模様は、「ミナペルホネン」の皆川明が作る衣装や布の柄にそのまま移行している気がした。もちろんデザインは「模倣」「継承」がしやすいが。

朝日新聞社の主催なので、最初私は美術専門誌『国華』を有する同社の「国華」関連企画と思っていた。『国華』創立120年とか130年とかでやった「対決」とか「つながる」などの日本美術いいとこどり展だと。その匂いの勘は間違いなく、主催に「国華社」があった。その後に「朝日新聞社」「文化庁」「日本芸術文化振興会」と続くのでびっくり。「後援」や「助成」ではなく。

ああ、これはたぶんオリンピックの文化関連事業で金がついた展覧会なのだ。日本のアートは過去も現代も繋がっていて、こんなにすごいぞ、クールだぞと見せびらかす「国策」によるものだろう。「落ち着かない」気分はそこから来たのか。8月24日まで、事前予約制。

|

« 本を書いて考えたこと:その(7)NHK続き | トップページ | 映画から浪曲へ:その(2) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 本を書いて考えたこと:その(7)NHK続き | トップページ | 映画から浪曲へ:その(2) »