日本と中国をめぐる映画:その(1)
毎年12月に私の学生が企画する映画祭のテーマが「中国と日本」に決まった。正式な映画祭名はまだだが、要するに中国と日本の関係をめぐる映画を選ぶことになった。コロナ禍で大学は今もオンライン授業だが、特別に許可をもらって試写をすることになった。
各自がDVDを簡単にレンタルできる映画はいいが、そうでないと録画した映像や個人蔵のDVDを集まって見るのが一番都合がいい。そこで広い地下の教室の四方の出入口を開けて、5メートル間隔くらいに座って映写をすることになったので、学生と共に私も参加した。
見たのは池谷薫監督のドキュメンタリー『蟻の兵隊』(2006)。かつてずいぶん話題になったが、見ていなかった。これは第二次世界大戦後の中国に日本軍の司令官の命令で9年も残留し、国民党軍の指揮のもとに共産党軍と戦った旧日本兵の話である。2600人が残留し、500人が死亡したという。
映画はその生き残りの奥村和一さん(当時80歳)を追う。彼は仲間と裁判を起こし、中国の山西省まで何度も行って、当時を知る人々に会い、公文書館で資料を探す。何かに憑かれたように止まらない奥村さんと共に、我々はいくつもの衝撃的なシーンに立ち会う。
病院で寝たきりの上司、宮崎参謀長を訪ねると、奥村さんの声を聞いて「あああ」とうなり出す。奥村さんが話せば話すほどうなりは止まらない。宮崎さんの娘はその反応の大きさに「わかるんですねえ」と驚く。
中国の山西省では、日本人に殺されそうになった父親を持つ中国人と会う。当時は新人兵に「肝試し」と称して、中国人を銃剣で刺して殺させたという。宮崎さんもそれに加わったことを語る。あるいは16歳で日本兵7人に輪姦されたという老女が出てきて、宮崎さんに「あなたもすべて家族に話したらどうですか。今のあなたは悪い人には見えませんよ」
公文書館では国民軍総司令官・閻錫山 (えん・ しゃくざん) と日本の隅田司令官の密約文書を見つける。閻錫山は中国の軍法会議にかけられるはずの隅田を偽名で日本に逃がす文書を出していた。隅田は日本から援軍を連れて戻ると奥村さんたちに約束して日本に帰った。
病院で奥村さんの体内にはいくつも金属片が残っていることがわかる。共産軍と戦った時の銃弾だった。女医は「60年間も」と驚く。奥村さんはかつての大隊長に電話をするが途中で切られ、翌日いきなり自宅に押し掛ける。しかし「60年も前のことで」と家に上げてもくれない。
終戦の日に靖国神社で得意そうに演説をする小野田元少尉に対して、「小野田さん、あなたは侵略戦争を美化するのですか」と奥村さんは大声で問いかける。小野田氏はきっと彼を睨み「侵略ではない!」と怒鳴る。
ほぼ10分おきに衝撃のシーンが訪れるので1時間40分の間、緊張のしっぱなしだった。奥村さんの狂気じみた執念に、私は『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三さんを思い出した。奥村さんも今は既に亡くなったようだから、本当に貴重な映像だ。奥村さんに寄り添って、時々クールな質問をする監督の声もよかった。
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- 25年目のイタリア映画祭:その(3)(2025.05.13)
- 25年目のイタリア映画祭:その(2)(2025.05.09)
- 『エリック・ロメール』を読む:その(1)(2025.05.07)
- 25年目のイタリア映画祭:その(1)(2025.05.03)
コメント