『アンティークの祝祭』のドヌーブ
ときおり、無性にフランス映画やイタリア映画を見たくなる。特に疲れた時や嫌なことがあった時は、フランス語やイタリア語を聞くとなんとなく気分がよくなるから、長年の習性とは恐ろしい。そんなわけで2コマのオンライン授業の後に『アンティークの祝祭』を見に行った。
監督のジュリー・ベルトゥチェリは『やさしい嘘』(04)や『パパの木』(13)で家族の崩壊を実にリアルに描くタッチに好感が持てた。今回はカトリーヌ・ドヌーブが老いた母クレールを、娘役を実の娘・キアラ・マストロヤンニが演じると聞いて見たくなった。私はキアラ・マストロヤンニがなぜか好きだ。
見てみると、全体の出来は『やさしい嘘』や『パパの木』の方がいいと思うが、なかなか強い印象を残す映画だった。田舎に大きな邸宅を持つクレール・ダーリング夫人は、ある日今晩死ぬとお告げを受けて、高価なアンティークを含む家財道具を二束三文で売り出す。
そこにクレールの娘、マリー(キアラ・マストロヤンニ)の友人だったマルティーヌが通りがかる。マルティーヌはいささかボケているが死ぬ様子が全くないクレールを見て、売り出しを止めさせようとマリーを呼び出す。
クレールは娘のマリーとは確執があった。自分が母親から譲れられた指輪を盗んだと信じ込んでいたし、ある日家出をしたマリーをよく思っていなかった。それには訳があって、亡くなった夫や息子のことが次第に明らかになってゆく。
この映画のおもしろいところは、記憶や回想が現在から地続きに撮られていることだろう。クレールが手伝いを頼んだ地元の若者と話しているうちにいつの間にか相手は息子のマルタンに変わっており、相手から「私はマルタンではありません」と言われて驚くといった具合。ボケていない娘のマリーも自宅に戻るとかつての若い両親が出てくる。
家や家具というのは、そうした過去の亡霊を簡単によみがえらせるものだと改めて思う。特にそこに住む老いたクレールが見る半分くらいは過去の世界なのだから。
残念だったのは、若い頃のクレールを演じたアリス・タグリオーニにドヌーブの持つ存在感がなかったこと。自分勝手で相手のことを考えられないのはいいが、そこに人間的な厚みが欠けていた。
それからドヌーブと牧師の関係も明らかに何かあったようだがそれは明かされないし、小さい頃からマリーと仲良かったアラブ系の青年アミールとの再会もあえて細かく描かれない。すべては「最後の爆発」(これについては書かない)のためにあったように、抑えられている。しかし私にはその爆発が今一つ響かなかった。
それでも今76歳のドヌーブが自分をさらけ出した感じのリアルな姿は、十分に見る価値があった。彼女に関して言えば、是枝裕和監督の『真実』よりずっと真実の姿が出ていると思う。
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