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2020年8月13日 (木)

また「ピーター・ドイグ展」を見る

2月末、コロナ禍で東京国立近代美術館が閉じる最終日に「ピーター・ドイグ展」を見た。始まったばかりだったが、一度閉めたら国立の美術館はそのまま平気で終了してしまうと思ったから。

6月初旬に東京国立近代美術館が再開することになったが、ピーター・ドイグ展は中止になると思っていた。次の「隈研吾展」が迫っていたからだ。ところが「隈研吾展」は1年延長となり、「ピーター・ドイグ展」は何と10月までとなった。

もう見たからいいかと思っていたが、フェイスブックでこの展覧会について友人が書いているのを読んだらまた見たくなった。思い立って平日午後3時にサイトを見たら、4時入場が予約できた。今回は「ぴあ」が主催に入っているせいか電子チケットではなく、セブンイレブンに行って発券の必要があったが。

4時からだと1時間しかないが、一度見た私にはこれで十分。今回考えたのは、この画家が1959年生まれで私と同世代であること。初期の《ロードハウス》(1991)を見て日本画だと思ったり、《カヌー=湖》(1997-98)や《エコー湖》(1998)に北欧のムンクを考えたり。

そのほかエドワード・ホッパー、アンリ・ルソー、アンリ・マティス、ポール・ゴーガン、フランシス・ベーコン、ヴィルヘルム・ハマスホイなど、絵を見ているといくらでも名前が出てくる。共通点は静かな風景にぽつりと孤独な人がいるところや、鮮やかな色彩にどこか哀しみが宿っているところか。いずれも私が好きな近現代の画家ばかり。

20世紀後半に子供から青年期を迎え、21世紀前半を中年から老年として生き延びる我らの世代には、社会への新たな希望は抱けない。少年期や青年期の華やかだった日々や未来への期待を思い出しながら、せめて身の回りの小さな幸せをコツコツと充実させていくしかない。そんな絵のように思えた。

それぞれの絵が大きく、さらに空間を区切らずに行き来が自由になっているのもいい。あの青や赤や黄の原色の渦に浸れる感じを味わえるから。行きつ戻りつしながら何度も見ていると、絵の世界がだんだん自分の頭の中と同化してゆく感じになる。

今年一番の展覧会はこれか東京都現代美術館の「オラファー・エリアソン」展ではないだろうか。ちょうど去年の夏の「ボルタンスキー展」と「塩田千春展」のように。若い観客が多いのも嬉しい。

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