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2020年8月10日 (月)

日本離れした映画『セノーテ』

9月19日公開の小田香監督『セノーテ』を、コロナ禍前の試写で見た。その頃この監督は、坂本龍一が審査委員長で黒沢清などが審査員の「第一回大島渚賞」を受賞したばかりで、試写状には蓮實重彦の絶賛の文章まであった。

坂本龍一と黒沢清と蓮實重彦がほめる映画とはどんなものだろうかと思った。見た印象で言えば、坂本龍一は間違いなく好きだろうな、というもの。つまり思い切りアートの方向に振れているし、欧米型のインテリをくすぐる要素が一杯だから。蓮實重彦が好きなのもある程度理解は可能だが、黒沢清の映画の方向とはずいぶん違う気がする。

基本的にはメキシコで撮られたドキュメンタリーである。題名でもある「セノーテ」とはメキシコのユカタン半島に無数にある地下の泉のこと。かつてマヤ文明の時代、雨乞いの儀式でいけにえとして少女が捧げられたこともあったという。

映画はセノーテの水のなかの映像で始まる。泳ぐ魚、見上げると太陽の光が無数に乱反射している。水底に写る光の束。水の音に混じって人が手足を動かす音や酸素ボンベの息の音が聞こえてくる。それが5分は続いたので、これだけだとつらいなと思っていたが、音には次第に人の声や音楽が混じってくる。カメラは泉から出て、周りを映し出す。

大人の声はスペイン語で何かの詩のよう。子供の声は別の言語で(マヤ語らしい)、よりつぶやくような感じか。カメラが普通の街を映し出すとホッとする。お祭で踊る人々、何かを演奏するオーケストラ、取り出すされた獣の内臓とそれを食べる犬、闘牛、蜂蜜を作る人、花火、墓に捨てられた大量の骨。

そして正面を向いて不動の人々の顔、顔、顔。老いた者が多いが、時おり入る若者や娘の顔に嬉しくなる。遠くで聞こえる歌声や極彩色の風景や衣装に、まるで生と死を行き来するような感覚に陥る。

このような詩的映像はどこかで見たことがある。クリス・マルケルではないし、ヨリス・イヴェンスでもない。そんなことを考えていたら映画は終わった。この映画は日本離れしている。メキシコの神話的世界を撮るからではなく、誰も知らない世界を丹念に撮って繊細に編集し、こんなわかりにくい映像に仕上げる日本の映画人はめったにいない。

この監督の前作『鉱 ARAGANE』を見たいと思ったら、本作の新作公開記念で9月5日から同じ劇場でやるようだ。

 

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