吉田喜重著『贖罪』を読む
買ってあった吉田喜重著『贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争』をようやく読んだ。吉田監督は1995年の映画百年の時にお世話になったこともあり、彼の少年時代も描いているというので興味があった。
出だしは自分の福井の少年時代を振り返る文章で、その「文学」そのものの横溢に戸惑った。まるでプルーストでも読むように、少年時代の甘美な追憶と現代への考察を交差させていたから。
ところがルドルフ・ヘスの手記が始まると俄然おもしろくなる。ルドルフ・ヘスはもちろん名前は知っていたが、副総統だったのに宣伝大臣のゲッペルスなどに比べると影が薄い。実はこの本を読んで、彼が1941年5月に独断でイギリスに不時着して拘束され、戦後は終身刑としてドイツの牢獄に何十年もいたことを知った。
このヘスの手記がメインだが、この小説はその後にヘスがお世話になったカール・ハウスホーファー教授の息子、アルブレヒトの手記が出てくる。さらに筆者が書くヘスの遺書が最後に付く。つまりは四部構成で、中心となるヘスの手記にはなぜか「私」という一人称の言葉がない。
この作りからして20世紀に栄えた実験小説のようだ。最初の筆者の追憶を除くと、3つの文章には筆者の追記がつく。冒頭で「八〇歳を過ぎた無為の人」と自ら書く筆者の目が常に控えている。その意味では表向きをヘスの人生に借りた「自伝のようなもの」なのかもしれない。
ヘスにとって、「地政学」(ゲオポリティク)を提唱したカール・ハウスホッファー教授との出会いは、H(ヒトラーは手記ではこのように記される)と同じくらい重要だった。地政学は、国家の存続は地理的条件によって制限されており、それをどう乗り越えるかを考えるものだが、ヘスはこの考えに強く惹かれ、ヒトラーにもハウスホッファーを紹介する。
この考えはヒトラーの海外侵略の基礎となり、ヘスが口述筆記した『我が闘争』の大きな骨格となった。ヘスはヒトラーの個人秘書から副総統になるが、この文章を読み限り知的で学者の資質を十分持っており、ヒトラーのユダヤ人虐殺に反対だった。ソ連との全面戦争を阻止するために、英国との共同戦線を探ろうと単身で飛行機に乗る。
まるでドン・キホーテのような行動に見えるが、本人の内面を追ってゆくと、きわめて真っ当な行動にも思える。もちろんそれはドイツ人にもイギリス人にも理解してもらえず、1987年に93歳で自殺するまで投獄されたまま、狂人としか思われない。
この他人に理解してもらえない心情は、おそらく吉田喜重の中にも積もっているのだろう。最初の筆者のエッセーの終わり近くに書く。「時代との呪う、呪われるという、いわば相反する二重のせめぎあいをいつしか押し殺し、同時代とのきわどい紙一重の関係、それもすれすれの最小限の接触を保ちながら、かろうじて生きてゆこうとする自分自身に気づくようになったのである」
自分の生きた矛盾に満ちた20世紀を、映画だけでなく文学でも残しておきたい吉田喜重の遺書のように思えた。
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