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2020年8月15日 (土)

坂川栄治さんが亡くなっていた

グラフィックデザイナーの坂川栄治さんが今月2日に亡くなっていたことが、昨日の「朝日」に載っていた。前にここに書いたが私は会社員時代に多くの映画祭を企画し、そのたびにいろいろなデザイナーと仕事をした。その中で一番信頼していたのが坂川さんだった。

彼と最初に仕事をしたのは、1996年11月から翌年2月までフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で企画した「ジャン・ルノワール、映画のすべて」。ルノワール監督の全37作品に加えてドキュメンタリーなど数本の関連作品を上映した。

この時のチラシ、ポスター、カタログは私が手掛けた中で一番うまくいったと思う。とりわけカタログは、ルノワール本人が躍る写真を濃い青色にし、その上に映画祭の英文タイトルが赤い字で入り、さらに日本語タイトルが白抜きでかぶさる優雅な表紙で、中面の2色の作品紹介や後半の写真アルバムページなど、今見ても惚れ惚れする出来だった。

坂川さんは『SWITCH』という当時一番かっこいい雑誌のデザインをしていたので、その雑誌の編集者に紹介してもらったと思う。広尾の戦前からの洋館のような一軒家がオフィスで、地下では写真のギャラリーを運営していた。

坂川さんは北海道の出身だったが、まるで熊のように太った丸っこい体に髭をはやし、丸眼鏡の奥の目をくりくりさせて打ち合わせを楽しんでいた。打ち合わせの時は彼は1人だけで、たっぷり話を聞いてくれた。しかしその後に実際に手を動かすのは3、4人いた若いデザイナーで、夜中まで仕事をしていた。

次に仕事をしたのは2001年の第1回のイタリア映画祭。カタログは写真の背景に目の覚めるようなオレンジを敷き、大きな文字のイタリア語タイトルの白抜きだった。この時は打ち合わせのたびにイタリア旅行やイタリア料理の話をしていた。

最後に仕事をしたのは、2007年2月から5月までできたばかりの国立新美術館で開催した「異邦人たちのパリ ポンピドゥー・センター所蔵作品展」。私にとって1997年に続く2度目のポンピドゥー・センターとの仕事だったが、なぜかこのカタログが見当たらない。よく覚えているのは、新美の学芸員が出てきた坂川さんのポスター案に不満で、2人の学芸員を連れて坂川事務所に行った夏の日のこと。

その後は、2008年に私がフランスから勲章をもらった時のパーティに来てくれたと思う。それからは年賀状のやり取りのみでこの数年はそれも途絶えていた。四谷三丁目にオフィスを移したという案内をもらって、自宅から近いので遊びに行こうと思ってたが果たせなかった。

HPを見ると、3000冊以上の本の装丁をしたと書かれている。私とのイベント関連の仕事はたぶん珍しく、だから毎回あんなに面白がってくれたのかもしれない。68歳だから、ほぼ一回り上だった。

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