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2020年8月23日 (日)

人間ドック待ち時間の『一人称単数』

先日、年に1度の人間ドックを受けた。毎年、午前9時から3時間近くかかるので、本を持ってゆく。小さなエコバッグに入れて肩にかけ、それぞれの検査室に持ちこむ。今年は村上春樹の新作短編集『一人称単数』を持って行った。

全体が213ページで字が大きく軽い。中には8つの短編があって、検査と検査の合間にちょうどいい。今年は8時45分からで8時30分に着き、11時までかかった。実際に検査そのものは全部合わせて30分もないので、2時間以上を読書に費やすことができる。行く前に30分ほど読んでいたこともあり、会計を済ませる直前に読み終えてしまった。

もちろん村上春樹だから、どれもうまい。「あるある」と読んでいると、突然人生の真実が見えてくるような気がして唖然とする。前に読んだことのある感じも含めて、ウディ・アレンの映画に近いか。過去をノスタルジックに語り、少し自慢をしながらもずっこける。

しかし今回の短編集は、何度か女性蔑視のようなものを感じた。やたらに美女だブスだと女性の外見について語る。まず最初の『石のまくらに』は、20歳前の「僕」がバイト先の20代半ばの女性と一夜の関係を持つ話。その女性には好きな男がいて、「おまえは顔がぶすいけど、身体は最高だと彼は言うの」

「彼女がとくにぶすいとは思わなかったが、美人と呼ぶには確かにいくらか無理があったかもしれない」と来る。そして後日彼女は自分の短歌集を送ってきて、彼女を思い浮かべた。「翌朝の光の中で見た、あまりぱっとしない彼女のすがたかたちでなく、月光を受けて僕の腕に抱かれている、艶やかな肌に包まれた彼女の身体だった。形の良い丸い乳房と、小さな固い乳首と、まばらな黒い陰毛と、激しく濡れた性器」

『謝肉祭』もまた女性の容貌の話。「彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった」で始まる。そして「彼女の力強い個性ーあるいは「吸引力」とでも称すべきものーはまさにその普通ではない容貌があってこそ有効に発揮されるものだったからだ。つまりF*が漂わせる洗練性と、その容姿の醜さの大きな落差が彼女自身のダイナミズムを立ち上げるのだ」

この女性と仲良くなるが、会わなくなって何年もたって資産運用詐欺の犯人としてとして彼女の写真を「僕」はテレビで見る。この展開はうまいが、さらにこの短編には学生時代に1度だけ会った女性の思い出が続く。「彼女はたしかにきれいな女の子ではなかった。でもただのブスな女の子でもなかった。そのあいだにはちょっとした違いがある。そしてそういう違いを僕はそのままにしておきたくなかった」

女性の容貌へのこだわりと、自分はいつもモテるが実は守備範囲が広いとでも言いたげな妙な「余裕」は何だろうか。村上春樹は大学生の時からどこか苦手な部分があったが、こういうところなのかもしれない。

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