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2020年8月 9日 (日)

それでも横浜トリエンナーレに行く

2001年の第1回に自分も関わった「横浜トリエンナーレ」を今年も見に行った。もはや現代美術の最先端はベネチア・ビエンナーレを2年に1度見ても4年おきのカッセル・ドクメンタを見てもわからなくなったが、とりあえず横浜なので出かけた。

今回の一番思ったのは、3年前のカッセル・ドクメンタみたい、ということ。ベネチアだと国別の館があるので、私でも知っている著名なアーティストが参加することもよくあるが、カッセルは1人のディレクターを中心とした徹底したテーマ展。たまに有名どころの作品もあるが(カッセルではビル・ヴィオラ)、それはテーマに合うから。

これまでの横浜トリエンナーレ(横トリ)は、この5、6年に世界で話題になったアーティストを集めて日本の観客に見せるという、「教育的配慮」がどこかにあった。現代美術では後進国の日本に初登場といった感じというか。だからいつも「見るべき」話題の名前があった。

ところが今回は有名作家はほとんどいない。日本人も外国人も。私がかろうじて名前を知っていたのは金氏徹平くらいだと思う。それでも全体を見ると、ある種の傾向が伝わってくる。明るさや静けさの奥に政治や記憶や哲学を秘めているというのか、小さな違和感をゆっくりと広めるといったらいいのか。

今回のディレクターは「ラクス・メディア・コレクティブ」というインド出身のアーティスト3人組という。横トリでは、川俣正や森村泰昌のようにアーティストがディレクターになったことはあるが、外国人は初めてだ。それもインド出身でかつ「コレクティブ」(=芸術家集団)というから、本当に今風だ。

まずメイン会場の横浜美術館に着くと、建物がカーテンのようなものに覆われている。先日亡くなったクリストのような「包む」アートとは違い、そのカーテンは風に揺れている。イヴァナ・フランクの作品だが、丹下健三設計の荘厳な入口をニュートラルで涼しげで危ういものに変えてしまった。

中に入って正面で目立つのはニック・ケイブの《回転する森》。2階まで吹き抜けの高い天井からキラキラ光る飾り物が無数にぶら下がっている。きれいだけど不気味だと思ったら、これはアメリカの家庭で好まれる庭用の装飾「ガーデン・スピナー」らしい。実はなかには銃や弾丸の形もあるのがアメリカらしい。

あるいは2階の広いスペースに広がるエヴァ・ファブレガスの《からみあい》は、まるでピンクや黄色の巨大な腸があちこちに横たわっている感じ。これまたかわいらしくて、かつ気持ち悪い。

まだまだあるので、後日また書く。

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