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2020年9月25日 (金)

『おもかげ』の佇まい

10月23日公開の『おもかげ』を試写で見た。スペインの1981年生まれのロドリゴ・ソロゴイェン監督の作品で、去年のベネチアのオリゾンティ部門で主演女優賞を取ったというが、見ていなかった。ベネチアはレポートを新聞に書くこともあって、コンペが中心になる。

これが不思議な佇まいの映画だった。原題はMadre=母で、6歳の息子を亡くした母親を描く。いわゆる母性愛の映画なのだが、舞台はスペインとフランス国境の海辺で、その土地に何か精霊のようなものが漂っている。

冒頭は、別れた夫ハモンが連れて行った息子からの電話に大騒ぎする若い母エレナ(マルタ・ニエト)を見せる。息子はフランスとの国境のフランス側の港町にいる。エレナは自分の母と2人で警察に連絡するが、息子の電話は途中で切れてしまう。

それから10年後、エレナは息子が亡くなった港町のレストランで雇われ店長をしている。そこで出会ったジャンはパリから来た中学生だったが、息子を思わせた。思春期のジャンはエレナに関心を持ち始め、2人はだんだん仲良くなってゆく。エレナと付き合うヨセバやジャンの両親はそれを不安そうに見守る。

129分の映画だが、10年前の部分は最初の10分ほど。あとはフランスの静かな海岸で、39歳のエレナとジャン少年の行きつ戻りが描かれるだけ。しかしその海や海岸や森、あるいはエレナの店やそこから歩いてすぐの彼女の家にはどこか寂しく、厭世的な空気が漂っている。小さな波の音や鳥の声や虫の音がいつも生活を侵食している。

ジャンがエレナを連れてゆく鬱蒼とシダの生えた森や、エレナが別れた夫のラモンと再会する森に面した暗いカフェには、まるで魂が空気に漂っているようで尋常ではない美しさだ。10年ぶりに会ったラモンと最近のことを語り合うエレナの姿を凍り付いたような気分で見た。

この作品には同じスペインのビクトル・エリセやホセ・ルイス・ゲリンに連なる、空間への原理主義のようなものがある。気に入った土地を丸ごと映画にし、人間はその一部でしかないような哲学を持った映画である。

フランスとスペインの国境のスペイン側はいわゆるバスク地区で、ケルト文化の影響が色濃い。この映画にある永遠の繰り返しの感じはまさにケルトではないだろうか。

 

 

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