« 「MANGA都市TOKYO」展に考える | トップページ | 『わが敵「習近平」』についてもう一度 »

2020年9月19日 (土)

アニメ『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』に考える

これはアニメなのだろうか、そもそも映画なのだろうか。確かに自分は映画館にいるのだが。まるで白黒の動く絵、あるいは揺れ動く自分の心そのものが写っているようにも見える。カナダの『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』を劇場で見ながら、そんなことを考えた。

すべてがミニマルだ。白黒で76分、画面には大事なものしか写らない。墨絵のようでもあるが、もっと省略されている。ロッテ・ライニガーの影絵アニメのように、影だけが描かれる場面も多い。

一応、物語はある。1995年、カナダのフランス語圏ケベック州で分離独立運動が盛んになり、住民投票が行われている。ジョゼフはその政治的な盛り上がりから遠ざかり、ずいぶん前に別れた妻エマと蜜月を過ごした海岸の街ヴィル・ヌーヴ(「新しい街」の意味)に行く。

そこから妻に「来ないか」と何度か電話する。エマは相手にせず、息子のユリスと好きな映画を見に行く。ある日なぜか思い立って、エマはヴィル・ヌーヴに出かけて、ジョゼフに会う。ジョゼフは魚を釣り、エマは自分の詩を読む。モントリオールは投票日で盛り上がっているが、2人は冷めている。

妻が夫に再会するだけの話だが、そこには強い「後悔」の思いがある。自分の生き方はこれでよかったのか。今からやり直せないか。それがいつも写る海辺の波のように、繰り返し押し寄せる。

ジョゼフとエマが再会して、話す場面がある。後ろには彼らの影がまるで鏡に写るようにくっきりと見える。そこに波の光景が重なる。家の中なのか外なのかもわからない。心象風景としかいいようがない場を孤独な2つの心が浮遊してゆく。

ジョゼフは息子ユリスに電話するが彼は恋人のマリーといて、「選挙だ」と言っても関心がなさそうだ。選挙の結果が出て、モントリオールは騒乱状態だ。ジョゼフは借りた家を追い出されてユリスと再会し、塔の上で鐘を鳴らす。

見終わっててっきり私と同世代の監督かと思った。あるいは一回り上の全共闘世代かも。ところがフェリックス・デュフール=ラペレールは39歳という。この孤独と改悛と政治的無力感の強度には年齢は関係ない。

日本のびっしりと描き込んだアニメに慣れた目から見るとアニメの革命のように思えたが、たぶんアニメ史にはこのような独特の才能がいるに違いない。原作はアメリカのレイモンド・カーヴァ―の短編『シェフの家』という。読んでみたい。

それにしてもケベック州の独立運動がそれほど盛り上がっていたとは知らなかった。わずか1%で負けてしまい、多くの住民に強い悔恨を残したことも。いささか乱暴に聞こえるケベック訛りのフランス語が妙に心に残った。

|

« 「MANGA都市TOKYO」展に考える | トップページ | 『わが敵「習近平」』についてもう一度 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「MANGA都市TOKYO」展に考える | トップページ | 『わが敵「習近平」』についてもう一度 »