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2020年9月 4日 (金)

「むまそう」に惹かれて「おいしい浮世絵展」を見た

数日前の「朝日」の夕刊で、開催中の浮世絵展を2本紹介していた。そのうちの1本が森アーツセンターギャラリーの「おいしい浮世絵展」。そこで月岡芳年の《風俗三十二相 むまそう 嘉永年間女郎の風俗》が写真付きで紹介されていた。「むまそう」とは「うまそう」のことらしい。確かに「むまそう」と口に出すと「うまそう」とあまり変わらない。

女郎が大きな天ぷら(たぶん魚)を串に刺して右手で持ち、顔は反対側を見ている。左手は口の下で涎を抑えるかのようで、食べる直前のまさに「むまそう」の瞬間である。この絵を見てこの展覧会を見たくなり、めったに行かない森アーツセンターギャラリー(森美術館の下)に行ってみた。

これが想像以上におもしろかった。鮨も天ぷらも鰻のかば焼きも蕎麦も基本的には江戸時代に屋台で栄えたもの。鮨のネタはずいぶん大きく、そのうえ鯛の鮨にエビの鮨が乗っていたりと大雑把。さまざまな屋台が並び、老若男女がどれどれと押しかけている様子を見ると、本当に幸せそうに見える。普通の庶民も商人も武士も、歌舞伎役者も女郎もみんな食べることが大好き。

江戸の料理屋の総合案内地図があったり、料理屋双六まである。あるいは東海道の地図に各地の名産が書かれていたり、各地を描く浮世絵でみんなが蕎麦や饅頭や汁粉などを食べている。あるいは屋台や料理屋や自宅で酒を飲む人々。

かつてフランスのポンピドゥー・センターの写真の学芸員・サヤグさんと大阪で展示作業のために一週間過ごしたことがあった。毎日、昼も夜も一緒に食べた。すると、「日本人はいつも食べてばかりだね」と言われた。フランス人は、昼はハムを1枚挟んでバターを塗ったサンドイッチだったり、クレープやケーキだったりと、きちんと食べないことが多いのだとも。

確かに日本人は朝、昼、晩ときちんと食べる。それは今でも大きな楽しみの一つだが、テレビも映画もネットもデパートもコンビニもディズニーランドもなかった江戸時代は、食べることは最大の娯楽だったのではないか。歌川国芳描く、大きな入れ物から白玉を掬う幸福そうな女性の姿を見ると、こちらも嬉しくなる。

町中にいろんな屋台があって、ふらふらとそこを訪ねて好きなものを食べるなんて、今ではとても味わえない優雅な体験に思える。それも鮨や天ぷらや屋台自体も江戸時代の産物だと考えると、まさに恐るべし江戸文化の創造力。

浮世絵と言えば、最近は春画が普通に見られるようになった。それらを見ていると、セックスも江戸時代では一大イベントだったのかもと思う。食欲や性欲を明るく肯定して探求を重ね、大量に浮世絵に残す。それはたぶん今のテレビやネットのルポのような役割で、それを見てまたああだこうだと楽しむ。先日のサントリー美術館の所蔵品展でも思ったが、江戸時代は本当に日本人が一番幸せだったのではないか。

9月13日まで。「特別協賛:くら寿司」には笑ったが、「特別協力」にクレジットされている「味の素食の文化センター」から多くの食を巡る浮世絵が出品されているのにも驚いた。

 

 

 

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