『スパイの妻』に驚く
今朝起きたら、黒沢清監督『スパイの妻』がベネチア国際映画祭のコンペで銀獅子(監督)賞を受賞していて驚いた。先月試写で見たが、「傑作だがどこか謎のような映画なので、受賞は無理だろう」と友人に話した記憶がある。それにしてもベネチアには長年通っているのに、行かない年に限って日本映画が受賞とは。
この映画を見始めた時は少しとまどった。1940年の神戸で、外国人が憲兵たちに連れていかれる。退色したレトロな色調で、まるでNHKの大河ドラマのような感じだったからだ。主人公の福原(高橋一生)の経営する商社に、憲兵分隊長になった友人の津村(東出昌大)が訪ねる場面になっても、どこか作り物のようで落ち着かない。
しかしその後に福原が仮面をつけた妻の聡子(蒼井優)を使ってスパイ映画を撮っている場面あたりから、だんだん引き込まれてゆく。それでも自由に動き回り、満州へ行く福原とひたすら夫を追うだけの聡子の生き方が腑に落ちない。
ところが中盤で福原が満州で入手した機密情報を海外で発表すると聡子に打ち明け、彼女が積極的に動き出すあたりからどんどんおもしろくなる。ひょっとすると、聡子は最初からすべてを知って夫を動かしているのではないかと思えるほどの変貌ぶりだ。警察に情報を出しながら手玉に取り、さらにそれがバレてもなお奥の手を使う。
リアルを通り越して聡子の妄想の世界のようになってゆくところが、黒沢監督らしい演出だ。歴史ものを撮っても、何かを求める女性の強い執念が虚構を生み、それが映像の強度へとつながってゆく。今回は蒼井優の強烈な存在感がそれを体現している。このあたりの女性の炸裂具合は濱口竜介の脚本参加によるのではないか。終盤に蒼井が2度発する「お見事です」という言葉に惚れ惚れした。
その虚構を支えるのが、室内に入ってくる強い光だ。家の中も商社のオフィスもバスも電車も病院も、外からの光が幻のように充満している。憲兵分隊本部のような窓のない室内では、照明器具が異常に光る。そこにいる東出昌大演じる分隊長の津村は本当に怖い。
夫婦が映画を撮るパテ9.5ミリのアマチュアカメラを始めとして、映画好きをくすぐる要素も多い。福原は妻に「溝口の新作を見に行ったんじゃないのか」と言うし、2人が映画館で見るのは山中貞雄の『河内山宗俊』。その映画館には『大空の遺言』や10年ほど前に中国で見つかった朝鮮映画『家なき天使』のポスターがあったのにも驚いた。
それにしても謎が多い。10月16日公開なので、もう一度劇場で見たい。そういえば、黒沢清監督の映画がカンヌ、ベネチア、ベルリンの三大映画祭のコンペで正式な賞を取るのは初めてではないか。
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