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2020年10月 2日 (金)

『武漢日記』を読む

中国の女性作家、方方(ファン・ファン)の『武漢日記』を読んだ。副題に「封鎖下60日間の魂の記録」とある通り、今年の1月23日に封鎖された武漢が解放されるまでの60日間の自宅蟄居生活の日々を綴ったものである。

武漢市は周囲との交通を一切遮断され、町中を歩くどころか、家からも出られないという本当の監禁生活である。65歳の一人暮らしの作家は、日常を記録し始める。毎晩12時頃にブログがアップされるのを多くの中国人が待ち望んでいたという。

日本人が読んで一番驚くのは、政府を普通に批判していることだ。「感染症発生初期に武漢市政府の対応が遅れたこと、そして都市封鎖前後に官僚が慌てふためいたことが大きなパニックをもたらし、武漢の人たちに損傷を与えた。そのことはいずれ詳しく書くつもりだ。いま、私が言いたいのは、湖北省の官僚の対応は、中国の官僚の平均値だということである」(1月26日)

これに対して、時々ブログが「遮断」される。すると多くの友人が転送するという。これはよくわからないが、政権にとって都合の悪い文章は見えなくされるのだろうか。それを見ていいと思った人々が遮断される前にコピペしてメールで転送するのかもしれない。

それから「極左」の人々は彼女の文章を引用して非難する。「極左」は中国では政府を妄信的に信用する保守派を指すようだ。筆者はそれらに対してブログで反論もする。彼女の立場はあくまで「私たちにできるのは記録するだけである」

彼女はもともと湖北省作家協会主席も務めたこともあり、文聯(湖北省文学芸術連合会)の宿舎に住んでいる。いわば政府公認の作家である。だからある程度の発言の自由が許されているのかもしれない。もちろん彼女の批判は初期対応が遅れたことと声を挙げた医師を処分したことの責任追及にとどまり、中国共産党の批判などはない。「武漢の感染症は、その最初から封鎖までの間に二〇日以上の時間があった。これは争えない事実だ。この浪費の原因はどこにあるのか」(2月27日)

それでも、中国にこのくらいの自由はあるのだということは知らなかった。病院を形式的に視察する役人を批判した後で、「役人が仕事に出向いた先で旗を掲げたり、記念写真を撮ったりしなくなるのはいつだろう。政府高官の視察のとき、恩義に感謝する歌を歌ったり、芝居がかったパフォーマンスをしなくなるのはいつだろう」と書く(2月12日)。

そのほかマスクの入手、食料品の共同購入と配達と分配、亡くなった人への追悼などが日記を占める。日記が60回目を迎えた3月24日、4月8日に武漢市の封鎖が解除されることが発表される嬉しい気分の中で日記は終わる。

私もこのブログでもっとコロナ禍のことを書くべきだったのだろうかと考えた。

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