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2020年10月26日 (月)

河瀨直美の『朝が来る』に考えたこと

6月5日公開予定が10月23日となった河瀨直美監督『朝が来る』は、実は3月に試写で見た。開かれなかったカンヌの「セレクション」作品である。私にとってこの監督の映画はいつも感動を与えながらも、どこかに違和感を残す。個人的には『あん』(2015)がするりと入ってきた。

それは『あん』はこの監督にしては珍しく原作があったからではないか、と私は考えた。彼女が自ら語りたい物語ではなく、他人の作った話の方がより一般的にわかりやすい映画になるのではないかと。

今回の『朝が来る』は辻村深月が原作である。流行作家の原作は初めてではないか。さらに共同脚本として高橋泉の名前もある。『ひとよ』の脚本家なので、これはさらに期待した。

確かにおもしろかった。何度か涙も出た。養子縁組をめぐる話で、実の母親と養子を受け入れる夫婦の関係が中心となる。母と子、母性、出産はこの監督が昔から何度も取り上げているテーマでもある。

東京の湾岸地区の高層マンションに住む栗原清和(井浦新)と佐都子(永作博美)は職場結婚。清和は無精子症と判断されて何とか治療を試みるがうまくいかず、養子をもらう。生まれたばかりの男の子を朝斗と名付け、子供はすくすくと育つ。6年がたって、突然母親と名乗るひかり(蒔田彩珠)が訪ねてくる。

それからひかりの物語が始まる。中学2年生で付き合った相手と恋に落ち、いつの間にか子供ができてしまった。既に堕胎は間に合わず、悩んだ両親は、広島の離島にある養子縁組の組織を見つけてひかりの出産と子供の縁組を委ねる。その組織の代表の浅見(浅田美代子)にひかりはなつくが、実家に帰るとそこで暮らすのは難しかった。

まず泣いたのは、栗原夫妻が訪ねる施設で養子縁組の経験者が出て話す場面。これは実際にその経験をした人々をドキュメンタリーのように撮っており、何ともリアリティがある。栗原夫妻が安心するのがよくわかる。

ひかりが離島の施設や上京後の横浜の新聞配達店で出会う仲間たちとのやりとりもいい。最初は違和感があったひかりという人物にだんだん親しみが持ててくる。

夫婦を演じる永作博美も井浦新もひかり役の蒔田彩珠もきちんと人柄まで描かれているし、浅田美代子もぴったり。ところが基本的なドラマ構造がどこかピンと来ない。最初に1時間近く東京の親子の話が出てきて、いきなり奈良の女子中学生の話に移ってそれが30分も続くのだから。

海、波、鳥、森、夕日、桜といったあちこちに散りばめられた象徴的な細部にも少し引いた。これはまさに河瀨節で、人間は常に自然と対峙させられる。そこがどこか説教くさい。

そんなこんなで感動しながらもやはり違和感も残る河瀨映画だった。この監督が共同脚本もやめて全く別の脚本家が書いた映画を作ったらおもしろくなるのではとも思うが、そうすると河瀨映画ではなくなるのかもしれない。今日の文章は後半に少し批判があるので、公開後にアップすることにした。

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