『ある画家の数奇な運命』についてもう一度
昨日から公開のドイツ映画『ある画家の数奇な運命』について、美術好きとして少し書き足したい。この映画はドイツを代表する現代画家のゲルハルト・リヒターの前半生をたどった映画だが、邦題にも原題にも彼の名前はない。その訳はプレス資料に書かれていた。
リヒターはインタビューをした監督に映画化の条件として「人物の名前は変えて、映画のためだけにオリジナルに制作された絵画を使い、内容は必要に応じて自由とするが、映画の中で何が真実かを絶対に明かさないこと」と伝えたという。
原題はWerk ohne Autor=「作家なき作品」。これはある意味でリヒターが目指したアートの概念ではないか。さて、ベネチアで2年前に見た時は、この映画がドイツを代表する現代画家、ゲルハルト・リヒターをモデルにしたものだとは知らなかった。見ながら、ジュッセルドルフの教授がヨゼフ・ボイスであることに気がつき、主人公のクルトの描く絵がリヒターに近いのを「発見」した気分だった。
ボイスのエピソードがいい。クルトのアトリエを訪ねたボイスは、戦争中に飛行機で墜落し負傷した自分を農夫が油脂とフェルトで包んで温めてくれたエピソードを話す。そして「すべては個人的だ」と言う。最後にトレードマークの帽子を脱いで頭の傷跡を見せて去ってゆく。
ボイスの油脂を使った作品は、フランクフルト近くの美術館の常設展示で大量に見た。展示ケースにたっぷり油脂が固まり、まるで古めかしい実験室のようだった。フェルトにくるまれたピアノやぶら下がるフェルトのマントなどはあちこちの展示で見た。
クルトはこのアドバイスから、個人的でありながら客観性を持たせるような写真を使った絵画へと大きく舵を取る。最後の展覧会は1967年のブッパタール展覧会場だった。本当ならこれからクルト=リヒターの本格的活躍が始まるのだが。ブッパタールはボイスが有名なパフォーマンスをやった場所だし、もちろんその後ピナ・バウシュの本拠地となる。
そのほか美術で言えば、映画冒頭に「退廃芸術展」ではカンディンスキー、クレー、キルヒナー、ベックマン、ディックスといった画家の作品が並ぶ。ジュッセルドルフではイヴ・クラインのようなパフォーマンスが見られるし、クルトは最初はジャクソン・ポロックそっくりの絵を描いている。
そんなこんなで20世紀美術が好きな人にとってはたまらない映画だろう。もちろんそれらを知らなくても映画としてすばらしいので、十分に楽しめる。予告編ではリヒターもボイスも一切名前が出ていなかったのが残念。美術ファンには届くはずなのに。
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