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2020年11月27日 (金)

佐倉の『性差の日本史』に考える:もう1回

佐倉の国立歴史民俗博物館で12月6日まで開催の「性差の日本史」は必見の展覧会だ。そしてそのカタログがすばらしい。家に入らないので美術展カタログは買わないと決めていたが、2500円出して買ってよかったと思う。

もともと展示物が手紙や日記や証文などが多く、その場で見て楽しむものではない。絵巻物にしても現物は小さくてよくわからない。カタログの現代語訳や拡大図を見ながら、家でじっくり読むのがいい。

さてこの展覧会は遊女や遊郭の資料が抜群におもしろい。三井は将軍家や明治新政府への豪商からの集金を担当するが、新吉原や深川の遊女屋からも上納金を集金している証文が展示されている。預り手形で毎月600両とか800両といった金額が書かれているからすごい。

この時期の有名な本に『吉原細見』がある。「遊郭内の五つの町の妓楼名と抱え遊女の妓名と価格、序列などが一目でわかるように記された版本である。幕末には春と冬の二度刊行されることが多く、遊興する遊客のガイドブックとして販売された」。遊郭のミシュランガイドのようなものだろう。

ここで高橋由一の《美人(花魁)》が展示されている。1872(明治5)年の大きな油彩で、この展覧会の中で数少ないわかりやすい絵だ。頭に大きな櫛を何本も刺した派手な絵で、「兵庫下髪という廃れた遊女の髪形を油彩画に残そうという企画に、4代目小稲が応じて描かれた」「しかし、小稲は、理想からほど遠い油彩画を見て、「妾はこんな顔ではありません」と泣いて怒ったという」

新吉原では放火が多かったが、多くは遊女たちが待遇に不満で火をつけたという。1849年の梅本屋の放火事件では細かな調書が残っており、「二年以上合議を重ねて集団で放火し、名主方に自首し、抱え主佐吉の非道を訴える事件」がよくわかる。梅本屋の遊女のうち数名が日記を残している。

遊女小雛は毎日朝と夕と食べたものを書く。だいたいおじやが中心でほとんどたんぱく質はない。「くさった香々で茶漬け」「からのおじや」はまだいいが、「食わず」や「寝ていて知らず」もたびたび出てくる。「食わず、内緒で豆いりと酒をご馳走になる」とは贔屓の客からおごってもらったのだろうか。

「これらの記録からは、遊女たちが「書く」ことで心理的な抑圧を緩和し、過酷な環境のもとで主体としての自己形成を遂げていった過程がうかがえる」

明治政府は1872年に芸娼妓解放令を出すが、「明治政府は遊女屋を貸座敷、遊女を娼妓としてこれらを公認し、娼妓は座敷を借りて「自由意志」で性を売る存在であるという建て前にされた」。これから次第に従軍慰安婦などの資料も出てきておもしろいが、今日はここまで。

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